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【はじめての方へ】開智望小学校のブログのご案内

<Q1>開智望小学校の概要について知りたい!

→学校パンフレット電子版(PCでのみ閲覧可)

https://sgate2.e-manager.jp/book-view/view/bookNum/39/memberNum/0/groupNum/1G

 

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PYPの5elementsの実装と裏側にある人間観

2学期が終わろうとしています。2年生の子どもたちは約2か月間続けてきた「Sharing The Planet」の総まとめに入ろうとしています。

 

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PYPすなわち国際バカロレア初等教育プログラムは全人教育であり、

1.教科の枠を越えた知識(普遍的で他の分野にも応用可能なもの)

2.概念的な理解(深く広い認識および洞察)

3.Skills(生涯にわたって自分を支え社会に貢献できる能力)

4.態度(姿勢、人間としての大切な構え)

5.行動(単なる知識の獲得に終わらずに行動によって社会をよりよくする)

 

この5つの要素(elements)を満たして探究を進めていきます。

 

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今回の探究(2年生2学期Unit4,11-12月)では、以下にフォーカスを当てました。

 

1.教科の枠を越えた知識:自然には恩恵と脅威がある。

2.概念的な理解:Responsibility

3.Skills:research

4.態度:感謝

5.行動:自立的な行動、具体的経験

 

・子どもたちのプレゼン資料

 

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1年生の頃からこのフォーマットを使って子どもたちは10回近くプレゼンテーションを行なってきました。最初は先行知識を書けずに、先行知識から疑問出しへのつながりが不十分でした。

 

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この班の子たちはきちんと先行知識から疑問を出すことができています。疑問に対する仮説も自分たちの言葉で書かれており、仮説の理由(論証)まで考えられています。

 

また、とても成長を感じるのは、定量的に2年生の算数で習った20Lなどの知識が駆使されている点です。バラバラの知識をつないで教科の枠を越えた探究を行うためには、こうした他の所で学んだ知識を活かすことが決定的に重要ではないでしょうか。

 

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わかったことに対しても実際にお家でやってみて実感を持ってわかったことを書いています。動画を撮影し私に提出してきましたので、すごく感心しました。

 

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家の中での水をよく使う部分別にどうすれば節水できるのか分かりやすくまとめられています。

 

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探究は1回で終わりではありません。もともと知っていたことが更新され、さらに知りたいことが出てくる。それを次は明らかにしていく。この連続したプロセスが探究ですね。

 

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終わりにでは結論を端的に表せています。

こうしてみていくと教員が教えたのではないか、とご指摘をいただきそうですが、

全て子どもたちが自分たちで用意した資料です。2年生でもここまでできることが分かったので、3年生以降では知識の厳格さを追究し、社会全体をよくするようなアクションを考えられるように子どもたちを支えていきたいです。

 

・PYPの裏側にある人間観

 

さて、今回はとある探究のプレゼンテーション資料から子どもたちの探究の様子をお伝えしました。

今までの教育とPYPの教育の違いは、その人間観にあります。

 

今までの教育は、子どもたちの頭の中を白紙ととらえていました。

しかし、PYPの教育では、子どもたちはすでに何かを知っていて、何かリソースを持っていると考えています。

 

すでに知っていることを洗い出し、そこから疑問を出す。その疑問を解決することによって、「分かる喜び」を知る。ここにPYPの教育の価値があるのではないでしょうか。

 

 

勉強の仕方―頭がよくなる秘密 (ノン・ポシェット)

勉強の仕方―頭がよくなる秘密 (ノン・ポシェット)

 

 

 この本には、以下のように書かれています。

 

今の日本の学校教育は、まず先に100点というものがあって、いかにそこにたどり着かせるか、100点を取るためにどう頑張らせるか、つまり悪いところを直していくという発想です。そうではなくて、すでに100点を取る才能、能力がある、備わっているんだけれども、それが発揮できていないだけだという考え方、そういう教え方だったんです。

 

最近学校で将棋が流行っているので、色々な棋士の方の本を読み漁っていますが、

上記の一節がとても心に残りました。

 

今回のブログは以上です。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

雪わたりと概念的思考~探究型の国語を目指して

こんにちは、開智望小学校広報担当の野口です。
いつも開智望ブログをご覧いただきありがとうございます。
このブログでは、毎回開智望小学校の教育について紹介しております。

 

・開智望発表会に向けて

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この絵、とっても素敵じゃありませんか。1年生が描いた絵です。

1年生ですよ!『ずうっと、ずっと、だいすきだよ』の感想を書いている時に

描いてくれました。

 

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こちらは異学年国語の様子です。3年生の女の子が皆に読み聞かせをしてくれています。

 

・探究における国語の役割

前回のブログでもお伝えした通り、2年生の探究は以下のプランで進んでいます。

 

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エクスカーション(秋の遠足)で浄水場を訪れて、川に対する知識を獲得しました。

今週と来週はResponsibility(責任)の観点で「川の水を守るために私たちには何ができるのだろう?」という探究をしていきます。

 

川のことが終わると次は雪国の探究に入ります。

理科的に雪をとらえる。

社会的に雪をとらえる。

どちらもとっても大切なことです。開智望小学校の探究では、国語の観点でも雪に対する理解や認識、感性を育んでいきます。

 

 

雪わたり (福音館創作童話シリーズ)

雪わたり (福音館創作童話シリーズ)

 

 

来週以降学校で扱おうと思っているのが、雪わたりです。小学校5年生の国語の教科書に登場します。昔の言い回しが使われていたり、多少子どもにとってはわかりにくいところがあります。

 

しかし、読書に慣れ親しみ、相当の語彙数を獲得してきている2年生の子どもたち。

きっと物語の本質的な部分に到達できると信じています。

 

・学びの設計図

 

単に読むだけではなく、私たちは考えながら子どもたちに物語を読んでもらいます。

では、どうしたら考えながら物語を読むことができるのでしょうか。

 

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教員として、子どもたちに結局何を身に付けてほしいのか、ゴールを設定します。

そのゴールにあたるのがルーブリックです。それぞれのレベルとConceptsが関連しています。

 

まず、物語の前半では物語のForm(目に見える部分)をとらえます。

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そして、だんだんと物語の核心に迫っていくのです。

 

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最後には、レベル4になることを目指して物語と対峙していきます。

今までの多くの小学校の国語は全体を理解した上で、部分をとらえていきます。

いわゆる三度読みです。しかし、私たち開智望小学校は、一読総合法というやり方で行ないます。

 

子どもたちは続きを知らないので、「次どうなるのか?」ワクワクしながら読みすすめます。そして、途中で想像したり、問いかけられて、考えざるをえなくなります。

 

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実際に子どもたちにやってみた結果はまた別の機会にご紹介しようと思います。

 

今回のブログは以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。

 

追伸:

前回のブログより

 

kaichinozomi.hatenablog.com

 

・子どもの才能を上手に伸ばすカギとは?

 

今回のブログでは、この才能を上手に伸ばすカギについて実は説明したのです。

 


7~10歳以降の育脳は、自己報酬神経群の機能を活かすことがポイントとなります。
 では、自主性・主体性を発揮させるためには、どうすればよいのでしょうか。
「指示・命令してはいけないなら、放任主義がよいのでは」―そんなふうに思う方が多いかもしれませんね。しかし、ただ放っておいてよいはずがありません。子どもというのは、さまざまなシーンで判断を誤ったり、どうしてよいかわからず迷ったりするものです。人生経験豊富な大人が上手に導く必要があります。
 自己報酬神経群の機能を高めつつ、うまく子どもを導くために、カグとなるのは、「よい質問を投げること」。

(中略)
「こうしなさい」と言いたい内容を選択肢として示したうえで、「あなたはどうすればよいと思う?」と尋ね、子ども自身に選ばせるというステップを踏むのです。

子どもの才能は3歳、7歳、10歳で決まる ―脳を鍛える10の方法

 

私たちが行う探究についてもっと知りたい方は是非来年1月の説明会にご参加ください。

 

 

 

 

●脳の仕組みから考える探究の有効性とは?(Function)・積雪や秋のエクスカーション

こんにちは、開智望小学校広報担当の野口です。
いつも開智望ブログをご覧いただきありがとうございます。
このブログでは、毎回開智望小学校の教育について紹介しております。

 ・最近の子どもたちの様子

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11/24(木)に関東地方に積雪があり、校庭の裏側の芝生にはきれいな雪がたくさん積もりました。もちろん遊びではなく探究の一環として雪を体験しています。

 

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触ると冷たい!

意外と重いな!

どうして水は透明なのに雪は白いんだろう?

 

子どもたちは体験しながら疑問を持っていました。

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これから2年生はウィンタースクールに向けた教科の枠を越えた自然の探究を行なっていくので、今回の積雪は絶好のチャンスになったのです。

 

また、11/22(火)には秋のエクスカーションに行ってきました。

 

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浄水場でDVDと実演によりろ過の仕組みや水道水が届くまでのプロセスを学んだ子どもたち。

 

振り返りでも、その充実した学びの様子が伝わってきました。

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・2か月間の探究は構想され、デザインされています。

 

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子どもたちにはこうした投影資料を提示しながら、全体像と現在地、次に何を学ぶのかを理解してもらっています。

 

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もちろん、その裏側には教員の学びの設計図(Planner)があります。

 

こうしたプランニングによって「子どもたちに教えないのに、子どもたちがきちんと学ぶ」という状態を作ろうとしているのです。

 

最近読んだ、この本からも探究のやり方が小学校の低学年の子どもたちに対して有効であることを再確認しました。

 

 

子どもの才能は3歳、7歳、10歳で決まる!―脳を鍛える10の方法 (幻冬舎新書)

子どもの才能は3歳、7歳、10歳で決まる!―脳を鍛える10の方法 (幻冬舎新書)

 

 

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育脳という観点では、成長に合わせて力点が変わることを理解するのが重要とのことです。

 

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脳の仕組みと発達のプロセスを理解していないと、

大人(保護者や教員)がよかれと思ってやったことが、子どもにとっては逆効果ということにもなってしまうようです。

 

子どもの才能は3歳、7歳、10歳で決まる ―脳を鍛える10の方法より引用

 


・本書の目的は、脳のしくみと発達過程にもとづいた、本来あるべき育脳の方法をみなさんに分かりやすくお伝えすること


・脳の発達過程からわかるのは、まず、0~3歳の子どもの脳は、神経伝達回路が十分に発達する段階にはない、ということ。そもそも未熟な脳に無理な学習を強いることは脳にとって非常につらい作業なので、教育熱心な親御さんは注意が必要です。(中略)

・一般に早期学習と呼ばれるものは、やり方によってはメリットがあるものもありますが、無理に情報を詰め込んだり、具体的な成果を求めてやらせるのはNGです。
・7~10歳以降は、親が「○○しなさい」などと指示をすると非常に嫌がるようになります。先回りして指示されたときの「いまやろうと思っていたのに」という口答えは、子どもだけでなく大人もつい言ってしまいがちなものですが、これは自己報酬神経群の働きが止まると、脳の機能が落ちてしまうからなのです。


・脳を鍛える10の方法
①物事に興味を持ち、好きになる力をつける
②人の話を感動して聞く
③損得を抜きにして全力投球する素直な性格を育む
④「無理」「大変」「できない」など否定的なことを言わない
⑤目標に向かって一気に駆け上がる
⑥「だいたいわかった」などと物事を中途半端にしない
⑦重要なことは復習し、繰り返し考える
⑧自分のミスや失敗を認める
⑨人を尊敬する力をつける
⑩"類似問題"で判断力を磨く

 

探究では、子どもたちが自ら抱いた疑問を精査し、グループで協働しながら世界の秘密を明らかにしていきます。

自分たちで選んだ疑問を解決するわけですから、もちろん主体的です。

 

また、教員としてはファシリテーション(促進)したり、プロボケーション(挑発)するわけですから、きちんと定着すべき知識を獲得させます。

 

上記で申し上げたようなプランニングがなければ、単なる調べ学習になったり、

子どもたちが主体的でも何も学んでいないという状態になってしまいますね。

 

第4章 7~10歳は自主的に勉強させる
・子どもに「勉強しなさい」と言ってはいけない

脳の発達にともなって自己報酬神経群の働きが活発になっている証拠です。(中略)
自己報酬神経群は、「自分で決めたことを自分で達成したい」と考え、「自分でやる」ことをごほうびとして機能します。
つまり、自主性・主体性を持ったときにうれしいと感じるのです。
親が「ああしろ、こうしろ」と指示することは、「自分からやる」ことができなくなることを意味します。つまり、親の指示は「脳に対して「やる気を削いで思考力を落とす」という悪影響を与えているのです。

・子どもの才能を上手に伸ばすカギとは?

 

さて、子どもの才能を上手に伸ばすカギとは何でしょうか。

 

ぜひ、本書を読んでみてください。

 

開智望小学校では日常茶飯事にやっていることです。

 

気になる方はぜひ、来週のブログも読んでくださいね。

 

それではまた!

 

 

 

●入学してからどんな子が伸びましたか?地道に優る魔法なし

こんにちは、開智望小学校広報担当の野口です。
いつも開智望ブログをご覧いただきありがとうございます。
このブログでは、毎回開智望小学校の教育について紹介しております。

 

・11/19(土)は学校説明会でした。

今年度の入試は第1・2回が終わったので、説明会は平成30年度向けになりました。

年中さんを中心に保護者の方に多数お集まりいただきました。

 

在校生の知り合いの方の参加も増え、在校生の保護者の皆様の後押しを感じました。

いつもありがとうございます。

 

今回のブログは、その説明会での個別面談でいただいたご質問に回答する内容といたします。

 

●入学してからどんな子が伸びましたか?

(年中さんのお子さんを持つ埼玉県在住のお母さまよりご質問)

 

1.よく食べる子

2.よく読む子

3.よく書く子

 

それではまいります。

 

 

1.よく食べる子

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給食のおかわりの風景です。彼らのように元気モリモリでたくさん食べる子はエネルギーに満ち溢れています。私のクラスは給食を残す子が多く毎日困っているのですが、伸びる子たちは例外なくたくさん食べます。

 

「お父さんが圧力鍋で作ってくれた豚の角煮が美味しかった」と話してくれた2年生の男の子もいたので、お父さんたちには頭が下がります。

 

 

 

たまたま安くなったので購入したのがこの本です。この本のなかにこんな一節があります。

 

食べたもので「人生」がつくられる

王 食事についても、若い頃から他の選手よりは意識していました。父親が中華料理店を営んでいたこともありますが、特に22歳のとき初めてホームラン王になって、疲労回復とか体調管理の大切さを感じたのがきっかけです。(中略)

プロの世界で結果を出し、生き残っていくには、普段からの体調管理はもちろん、相手のピッチャーとギリギリの勝負になったときに「オレは筋肉の質まで考えて食事しているんだから、こんなやつに負けるはずがない」なんて思い込むことも大事なんです。(中略)

いまの子どもたちを見ると、親が共働きだったりして普段からファストフードやコンビニのおにぎりばかり食べているんじゃないかなと心配です。
 お母さんたちには栄養のバランスがとれた手づくりの料理を子どもたちに食べさせてほしいですし、子どもも嫌いなものでも食卓に出されたものは、ちゃんと食べてほしい。それが後々、「体力」という形で響いてきますから。
 人生において何をやるにせよ、身体が資本になります。その体の素となるのが食べ物ですから、食べたもので「人生」がつくられるといっても過言ではありません。

 

というわけでよく食べる子は伸びますし、人生にとって食事は決定的に重要ですね。

私も毎朝味噌汁をきちんと摂るようにしてから冷え症が改善されたのでおすすめです!

 

 

2.よく読む子

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続いてよく読む子です。

開智望小学校では毎朝、読書タイムで10分ほど静寂の中読書をしています。

子どもたちが真剣に本と向き合う時間は貴重ですね。

つくばエクスプレスに乗っていてもほとんどの人がスマートフォンを見ている中、

たまに読書をしている方を見かけると美しいな、と感じます。

 

 

3.よく書く子

 

 

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子どもたちは毎日毎日たくさん書いています。開智望小学校の子どもたちは、とにかくたくさん書いています。「てにをは」や誤字脱字を直すことはもちろん大切ですが、低学年のうちに「書くって楽しい!」「書くと頭が整理されてすっきりする!」ということを実感してほしいと願っています。

 

私自身も毎日子どもたちのノートを見させてもらうのを一つの楽しみにしています。

 

・まとめ

入学してからどんな子が伸びましたか?

1.よく食べる子

2.よく読む子

3.よく書く子

 

この3つだと個人的には考えています。

 

タイトルにある通り、地道に優る魔法はありません。

 

コツコツと継続することで確かな力がついていくのではないでしょうか。

 

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この学級通信に書きました通り、私たちの学校では子どもたちの成長とは、

科学的な認識と主体性の発揮だと考えております。

 

そのためにもたくさん読書をしたり、たくさんノートに書いたりすることは決定的に大事ではないでしょうか。

 

今回の記事は以上です。

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

【コーディネーター通信】TOK(「知の理論」)を解読する

ラカンの灘高・日本史リベラルアーツ授業・・・・

 

問い①「江戸期、東北で飢饉が度重なり、多くの人が餓死したのはなぜか?」

これは、倉石 寛 灘高前教頭(現在立命館大学教育開発推進機構教授)が2015年2月に灘高2年生に実施した授業のテーマです。

 

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この問いに対し、私などは、「そりゃ、夏にヤマセが吹くからだろう。」とか、「夏に寒流の千島海流の勢いが強いと、その上を吹いてくる北東の風が冷やされて、東北地方の気温が上がらないのと、濃霧を発生させるのとで、稲作等に冷害をもたらすから。」などという解答を考えるでしょうな。

 

なんでこんなことを書き始めたかというと、最近、野口君と、国際バカロレアのディプロマプログラムのコアの「知の理論」(Theory of knowledge)について話をしていた時のことです。そのUnit1の「知識の読解」の「知識の種類と知識に関する問い」の「知識マトリックス」というところに、次のように書かれていたことが大変気にかかりました。

 

 

・・・重要な知識に関する主張で、単独に生じるものはほとんどありません。たいていは、世界についてのアイデアや主張に複雑に絡み合ったものの一部であり、テストやリソースを巧みに組み合わせて使用して、互いに矛盾していないかどうか常に相互参照させているものなのです。したがって知識は、「概念、事実、関連のマトリックス」で構成されており、私たちが遭遇する個人的主張を評価する際に概して頼りにするものです。知識に関する主張に直面しているかどうか、次のような質問をする必要があります。

「誰にとって、これは真実なのか。」

「どんな根拠があって、真実だと主張されているのか。」

「この知識に関する主張は、私が以前から真実だと信じている知識に関する主張と一致するのか、それとも矛盾するのか。」

「どの程度社会は、この主張が真実であることを信頼しているか。」

「どの程度私は、この主張が真実であることを信頼しているか。」

「この主張を真実だと認めると、どういう結果になるか。」

「私がこの主張を確かだとみなすかみなさないかで、どういう違いが生じるだろうか。」

「もし私がこの主張の真実性を認めないとしたら、どんな結果に直面するだろうか。」

(『TOK(知の理論)を解読する』 Wendey Heydorn   Susan Jesudason  Z会

さて、こう考えると、「夏にヤマセが吹くから、飢饉が起こり、たくさんの餓死者が出る。」という知識は、どう評価できるでしょうか。

 

「誰にとって、これは真実なのか。」という基準からすると・・・

 

「誰にとって、これは真実なのか。」という基準からすると、現在のところは、東北地方では餓死者が出ているわけではないので、この知識の主張は、事実の一部ではあっても、それほど意義のあるものではないということになりますね。

 

「どんな根拠があって、真実だと主張されているのか。」という基準からすると・・・

 

「どんな根拠があって、真実だと主張されているのか。」という基準からすると、この知識は、気象学上の事実に根拠を持っているでしょう。ということは、物理学的にも、地理学的にも根拠を持っていることになります。しかし、「夏にヤマセが吹く」という条件だけから、「飢饉が起こる」という結果が生まれるということはありません。確かに稲は熱帯性の植物ですから、高温多雨のほうがいいに決まっています。しかし、現在では品種改良がおこなわれて寒さに強いイネの栽培がおこなわれています。また、稲ではなく、寒さに強いソバやクリ、アワやヒエを作ればいいわけですから、「夏にヤマセが吹く」というのは、飢饉の必要条件の一つではあっても、十分条件にはなりません。

 なぜ東北地方では、江戸時代に、夏、寒冷で日照時間が少ないにもかかわらず、コメ作りを行ったのかということについての知識や、なぜ寒さに強いソバやクリ、アワやヒエを作らなかったのか、さらに、飢饉が起こったにしても、それがなぜ多くの人の餓死につながったのかということについての知識が必要になってきますよね。

 

ということは、「夏にヤマセが吹くから、飢饉が起こり、たくさんの餓死者が出る。」という知識は、十分な根拠をもった知識であるとは言えません。

 

「この主張を真実だと認めると、どういう結果になるか。」という基準から見ると・・・・

 

「この主張を真実だと認めると、どういう結果になるか。」という基準から見るとどういうことになるでしょうか。

 

「夏にヤマセが吹くから、飢饉が起こり、たくさんの餓死者が出る。」ということが真実であるとするならば、これはえらいことになりますよ。というのは、気象というものは、人間の思うようにはならないんです。ということは、東北地方の飢饉は、これはもう必然的であるから、東北の人々は甘んじてこれを受け入れるしかないということになってしまいます。こんなバカな話はありません。したがって、ですな。「夏にヤマセが吹くから、飢饉が起こり、たくさんの餓死者が出る。」という知識は、その結果生じることから考えても、「真実」とは言えませんな。

 

ということは、「夏にヤマセが吹くから、飢饉が起こり、たくさんの餓死者が出る。」という知識は、「概念、事実、関連のマトリックス」から見直すと、「知識」としての値打ちが高くないものだということになります。

 

皆さんは、どういう知識を組み立てますか? 先ほど挙げた基準を参考にして、一度考えてから、次をお読みください。

 

次のような、知識を組み立てた人がいます・・・

 

幕藩体制は、「米遣いの経済」である。だから、各藩は、流通力のあるコメを江戸・大阪で売却して参勤交代や江戸滞在の費用を賄った。したがって、農地の多くを水田にしてコメの取れ高を多くすることが、藩政の使命になっていた。だから、ヤマセによりひどい凶作が起きたとしても、東北の藩主は飢饉の中、班内のコメを強制的に集めて江戸・大坂で売らねばならなかった。そのため、たくさんの人々が餓死することになった。

 

この知識を、「どんな根拠があって、真実だと主張されているのか。」という基準から評価すると・・・

 

この知識を、「どんな根拠があって、真実だと主張されているのか。」という基準から評価すると、ここには紹介できませんが、この知識は、「東北地方の水稲作の作況指数」「天明の夏の天気」「各藩の人口・餓死・病死・逃亡・絶戸」「18世紀から19世紀にかけての飢饉による人口減少」等の資料の分析によって得られたものであり、根拠づけられている資料です。

 

「誰にとって、これは真実なのか。」という基準から考えると・・・

 

さらに、「誰にとって、これは真実なのか。」という基準から考えると、この知識は、江戸自体の東北諸藩の人々にとってだけ「真実」なのではありません。こういうと「えっ」と思われるむきもいらっしゃるでしょうが、本当なんです。では、どういう人々にとって「真実」なのかというと、実は、現代の私たちにとっても「真実」なんです。それについてちょっと考えてみましょう。

 

「この主張を真実だと認めると、どういう結果になるか。」という基準から・・・現代の日本や世界に

 

「この主張を真実だと認めると、どういう結果になるか。」という基準からこの知識考えますと、次のような結果が出てくるのではないでしょうか。

 

「ならば、多くの武士を帰農させて、養蚕等の新たな商品の作り方を教えて、藩経済に寄与させればいい。」「そうすれば、無理して、風土に適さないコメを作らずに、寒冷地でも育ち、江戸・大坂で高価で売れる商品作物を作ることが出来る。」「寒冷地に強いソバやクリ、アワやヒエなどを非常用の領民の食料として栽培しておくことが出来る。」「参勤交代や江戸藩邸でかかる費用を節約して、非常時には領民にコメを分配する。」等々。

 

ところが、よく考えると、江戸幕府がとった政策は、16世紀から始まった西欧諸国の植民地政策ともよく似ているんです。ゴムのプランテーション等々です。それが現代の世界をたいへん大きく規定しているわけですから、この知識は、「現代の世界の人々」にとっても大変意義のある知識だということになります。

 

最後に、「私がこの主張を確かだとみなすかみなさないかで、どういう違いが生じるだろうか。」という基準に基づくと、この知識は、どういうことになるのか、ぜひ皆さんも考えてみてください。

 

 

 

 

【コーディネーター通信】野中至:三年生の「How we express ourselves」

 「私たちが私たちを表現する」といっても、いろんな表現があるものです。私たちは、「表現」というと、なぜか文学的なものや芸実的なものを考えてしまうんですが。

 

 

 「天気予報が当たらないのは、高層気象観測所がないからなのだ。天気は高い空から変わってくるだろう。」「富士山は3776メートルある。その山頂に気象観測所を設置して、そこで一年中、気象観測を続ければ、天気予報は必ず当たるようになる。だが、国として、いきなり、そんな危険なところへ観測所を建てることは出来ない。まず民間の誰かが、厳冬期の富士山頂で気象観測をして、その可能性を実証しないかぎり、実現は不可能である。」(新田次郎『扶養の人』より)

 

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野中 至の言葉です。野中 到は、明治時代の気象学者。妻の千代子と共に富士山頂で最初の越冬観測を試みました。

 

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陸軍との困難を極めた折衝や資金集めは言うに及ばず、たいへん厳しい冬の富士山頂での生活。

夫婦は互いに支えあい観測を続けますが、高山病と栄養失調でついに動けなくなり、助け出されました。よっぽど強い倫理的な動機と科学的な確信がなかったならば、こんなこと、できるはずがありません。

 

十分な観測結果は得られなかったものの、夫婦の決死の努力は感動を呼び、その後の富士山気象観測への道を開き、野中夫妻の偉業は中央気象台に引き継がれました。

 

 野中は、医師を目指して大学予備門(今の東大教養部)に入学しましたが、自ら人々に役立つ道を求めて中退し、気象学者を目指しています。しかし、いくら気象に対する知識があるからといって、それだけでは、資材を投げ打つという献身や、厳寒期の富士山頂での長期観測という決死の努力をやってのけられるものではありません。野中夫妻の自己表現とはこのようなものでした。

 

天才的な物理学者のエンリコ・フェルミや、数学者のジョン・フォン・ノイマンらは、アメリカ合衆国原子爆弾開発プロジェクトであるマンハッタン計画でも中心的な役割を演じ、1944年にロスアラモス国立研究所のアドバイザーとなったり(フェルミ)、戦略ミサイルの開発にかかわります(ノイマン)。ノイマンの自己表現は「戦略核ミサイル」なのでしょうかね。因みにフェルミは水爆の開発に対しては反対を表明しました。科学者としての見識と倫理的なものが一つになったのでしょうね。

これは、フェルミの自己表現です。

 

これにたいして、核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えたラッセル=アインシュタイン宣言を受けて、1957年7月 7日、カナダのパグウォッシュに湯川秀樹博士、朝永振一郎博士、マックス・ボルン博士、フレデリック・ジョリオ・キュリーら22名の科学者が集まり、全ての核兵器およびすべての戦争の廃絶を訴える科学者による国際会議であるパグウォシュ会議が開かれました。日本パグウォッシュ会議は現在でも続いています。

 

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これも、科学者たちの自己表現の一つです。

 

 どこに、決定的な違いがあったんでしょうか。

 

 そこには、科学的な知識とそれに対する強い確信だけではなく、さらに別の、倫理的な動機があったんですね。「自分のため」だけではなく「ひとびとのため」という倫理的な動機があったんでしょう。しかも、それはたいへんパワフルな確信にまで昇華されていたんでしょう。そして、それが行動という形の自己表現になったんでしょうな。

 

 理系の知識だけでは、不十分なのでしょうね。メアリー・シェリー婦人が『フランケンシュタイン』を書いたのは、1818年。今から200年近く前です。『フランケンシュタイン』には、『現代のプロメティウス』という副題がついています。すでにこのころから、「科学」は、一面では新しい可能性を人間に与えるけれど、他面では不幸に導く「諸刃の刃」であることの警鐘が鳴らされていたんですね。

 

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私たちは、野中至やパグウォッシュ会議に集まった科学者の心性とともに、ノイマン博士のような心性も持つ可能性を持っているということでしょうね。両方の可能性を持っているならば、「科学」だけを学ぶというのは実に片手落ちだということになります。

 

つまり、科学だけでなく、歴史も、地理も、人々についても、社会科や文学、図工、音楽などを通して学ばなければいけないということなんです。「教科の枠を超えた探究」とは、こういう意味を持っているんです。

 

 19世紀の終わりころまで、自然科学は「万能」でした。自然科学が人類に幸福をもたらすと素朴に信じられていましたし、自然科学以外の学問は、自然科学の方法をモデルにして発展しました。画家のモネやターナー蒸気機関車を絵画作品にしました。たぶん蒸気機関は時代を引っ張っていく科学技術の象徴のように思われたんでしょうね。電気や交通機関の発達によって豊かになった人々(もちろんホンの一部の人々ですが)は、スーラの描くように着飾って公園を散歩するようになりました。

 

クロード・モネ 

 

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ジョルジュ・スーラ

 

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ところが、19世紀の後半ごろから、恐慌が起こり、人間の疎外が問題になりはじめると、科学に代表される「知」のあり方に、さまざまな批判と検討が加えられ始めました。「価値」の問題であったり、「実証主義的な知」に対して「構成主義的な知」を対置する試み、「科学」の「根拠付け」を行う試みだったり、画一化しない「人間のありかた」の探究だったり、さらに対象を広げ、そもそも「存在」とはどんなものかということを解明する「試み」だったりと。

 

ちょっと考えてみれば分かることですが、現在は情報・通信技術(ICT)や人工頭脳が人間に幸福をもたらすと思われているようです。その点で、現代は19世紀の後期から20世紀の前期の様相に酷似していますよね。

 

 「歴史は2度繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という箴言があります。19世紀から20世紀前半の「実証主義」で行き着いたところは、いいところもあったけれど、全体としてはあまりいいところとは言えなかったようですね。しかし、そうは言っても着実に進歩はしているのでしょうが。

 

ならば、未来に生きる子どもたちが、現在の情報・通信技術(ICT)や人工頭脳によって人間に幸福をもたらすためには、科学だけではなく、歴史、地理、文学、芸術、音楽などにしっかりと根ざした知を構築していかなければならないということです。

 

人間として大事なことをこの探究の単元でどう学んでいくか、文学はそのようなメッセージの点検的な表現です。文学に限りません。絵画もそうです。音楽もそうです。科学だってそうです。文学や絵画、音楽や科学などを通して、人間として大事なこと、人間にとって大事なことを探究していく過程は、同時に、私たちが、人間にとって大事なことを表現する、その方法も学び取ることです。その方法は、単に「作品」を作ることだけではなく、態度や行動にも表すことです。

 

この探究で、三年生たちが、10の学習者像に向かい、どういう三年生らしさを表現するようになるか、楽しみにしているところです。

 

 

 

 

【コーディネーター通信】私たちは、こうなるんだぞ!

タイトルが、軽いように思われるむきもいらっしゃるんではないかと存じますが・・・。

 ジュネーブ・インターナショナルスクール(International School of Geneva)の、初等教育プログラム(PYP)の「PROGRAMME OF INQUIRY」(探求のプログラム)について、考えてみたいと思っておりました。今日は、ジュネーブ・インターナショナルスクール(International School of Geneva)の、初等教育プログラム(PYP)のセントラル・イデアについて考えてみようと思います。

 

ジュネーブ・インターナショナルスクールとは・・・

 

その前に、ここで簡単にジュネーブ・インターナショナルスクールについて説明したいと存じます。

 ジュネーブ・インターナショナルスクール(International School of Geneva)は、スイスのジュネーブ州にあるインターナショナルスクールで、1924年に国連ILOの職員によって設立された世界最初のインターナショナルスクールです。最初はたった8人の生徒と1羽のウサギだけでした。目的は、進歩的な教育理論に基づく教育を提供することでした。・・・そして、1968年には、英語とフランス語による、国際バカロレアのディプロマプログラムが、このジュネーブ・インターナショナルスクールのロバート・J・リーチ先生と他の教師たちによって、大部分が作られました。

「The birth of the first international school. The school opens on Sept 17th 1924, with just 8 students and a rabbit. Founded by local educators and by officials of the League of Nations and ILO, the purpose of the school was – and still is – to provide an international education based on the progressive educational principles of the éducation nouvelle movement.・・・・・The International Baccalaureate Diploma Programme (IB) in English and French is largely created by Robert J. Leach and other teachers at the International School of Geneva.」

(International School of Genevaの「Our history」より)

 現在は、La Grande Boissièe、La Châtaigneraie、Campus des Nationsの3つのキャンパスがありましてな、国際バカロレアのディプロマ・プログラムを1学年約300名が受講しております。

 つまり、国際バカロレアの教育の、文字通りの「牽引車」だったわけです。そして、いまでもそうです。

現在、ジュネーブ・インターナショナルスクールのディプロマ資格試験の合格率約95パーセントで、世界的に見て大変高いんです。ちなみに、世界平均は約80パーセントです。

 

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(International School of Genevaのホーム・ページより)

 

 また、生徒一人当たりの平均得点はやく34点で、これも世界的に見て大変高いんです。(世界平均は約30点)

 

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たとえば、キングズカレッジ・オブ・ロンドン大学は、ディプロマ・スコア36点あれば、無試験で入学できるわけですから、ジュネーブ・インターナショナルスクールの卒業生は、半分近くがキングズカレッジ・オブ・ロンドン大学に入学できるわけです。これは、すごいことですぞ。参考までに、オクスフォード大学は38点以上、ケンブリッジ大学は39点以上です。

 

 こうなると、気になるのは、同じIBのインターナショナルスクールでも、ドえらい違いがあるんじゃないかということですよね。どこに違いがあるかということですよね。私たちは、小学校ですからして、当然、初等教育プログラム(以下PYP)が気になりますな。

 そこで、ジュネーブ・インターナショナルスクールの等教育プログラム(PYP)の「PROGRAMME OF INQUIRY」(探求のプログラム)を分析してみようではありませんか。

 

分析の道具「観点」・・・「普遍性」

 

「分析」というと、何が必要でしょうか。徒手空拳で戦わんとする阿呆はおらんの同様、分析の「道具」を持たずに分析しようとする阿呆もおりません。まぁ顕微鏡だの試験官だのを使うわけではありませんが、どういう「観点」から見るのか、というPerspectiveだけははっきりしとかなければ、いけませんな。

 

 さて、その「観点」ですが、次のような「観点」を用いたいと考えます。

 その「観点」は、セントラル・イデアが「イデア」の名にふさわしく、「普遍性」を持っているかどうかという観点です。

 では、なぜ「普遍性」なのか。

今、IT技術やメディアの発達により、止まりを見せないグローバル化が進んでいます。家と学校とをただ往復しているだけでも、車のラジオから今日は中東、今日はアフリカや南米というように情報が飛び交っています。私は、それが嫌になると落語のCDを聞くことにしているんですが、最近は桂小楠師匠にハマってしまいまして、あの師匠、「子ども」をやらせると、うまいもんですな。特に「いかけや」や「てんしき」なんざ、最高でして・・・・。

え~、閑話休題。IT技術の進歩やグローバル化は、人間に恩恵をもたらしもしますが、たいへん面倒な「問題」も生み出していますぞ。そして、それらの新しい「問題」は一筋縄ではいかん問題ですぞ。これまでのように、細分化された知によっては太刀打ちできないでしょう。

そうした「問題」を、様々な知を結集し、まさに特定の知の枠組みを超えて、仲間とともに協働的に、解決の方法を見出していく智や能力が必要となります。

 そういう能力を培うプログラムが、「Theory of knowledge」、すなわち、「知の理論」をコアにしたディプロマ・プログラムです。ディプロマ・プログラムは、たいへん高い教科領域の知識も獲得するのですが、それとともに、こうした「知の有効性と限界」とを吟味しつつ、高い個別的な知識と、それらの知の枠を超えて問題解決を図る能力を高めるための「知の理論」も学ぶんです。

 さて、そこから翻って、PYPを見ると、「探究の単元」(UOI)のセントラル・イデアは、一つの教科、特定のトピックに偏ったものであっては、うまくないわけですな。ただ、当然のことですが、UOIを行うには、各教科の相当高いレベルの知識が必要です。二年生のUOIでは、流れる水の働き(理科・5年生相当)、地域の災害や事故とその防止(社会・3年4年相当国土の自然と産業(社会・5年)、雷と電気、電気の利用(理科・5年6年相当)、治水の歴史(社会・6年相当)、人々の生活を守り豊かにした人々(国語・5年6年相当)、そして、高い算数の能力が必要です。しかし、それだけでは十分ではなく、それらを用いて、たとえば、「人間は、自然の脅威を恩恵に変えることが出来る」といったセントラルアイデアに対して向かって、キー概念のConnectionや関連概念のLawなどを通して様々な探究を行い、最後に、「自然の脅威とは、自然の法則を人間がまだ認識していないところから生まれ、自然の法則を人間が自分たちの生活を豊かにするために、うまく作用されることである」といった知識を見つけることが必要になってきます。

 そのためには、セントラル・イデアは、特定の教科やトピックに偏したものであってはならないんです。それだと、ディプロマ・プログラムにうまくつながっていかんのですな。

 どうも、まわりっくどい説明になりましたが、こういうわけで、セントラル・イデアを分析する観点として「普遍性」を用いたいと存じます。

 

ジュネーブ・インターナショナルスクールのセントラル・イデアの分析・・・

 

ジュネーブ・インターナショナルのセントラル・イデアの分析に行く前に、他の(どこぞの・・・といっても国内ではありません)のインターナショナルスクールのセントラル・イデアを見てみましょう。「比較」という方法は、「分析」の第一歩でもありますので。

 その、どこぞのインターナショナルスクールの、二年生の、教科の枠を超えたテーマ「How the world works」のセントラル・イデアが、これです。

 

「Observing and experimenting allows understanding of the conservation and physical properties of matter.」。なんか訳しづらい文章ですな。「観察と実験は、事物の保護とその物質的な性質との理解を可能にする」とでも訳しましょうか。

 

 さあ、どうですか。このセントラル・イデアは、普遍的なものでしょうか、それとも、特定の教科やトピックに偏したものでしょうか。

 「Observing and experimenting」は、概念というよりも、こりゃ、「スキル」や「方法」ですな。また、「understanding of the conservation and physical properties of matter」も、物理学の方向に振りすぎているため、「教科の枠」超えたものとは言えませんぞ。これは、理科という教科の枠内の知識ですぞ。したがって、このセントラル・イデアは、「自然科学の方法」と「物性」や「保存」という自然科学内の知識や効果に「特殊化」されすぎていますぞ。そのため、「普遍的な知識」にはなりえてはおりません。

 

さて、いよいよジュネーブ・インターナショナルスクールの等教育プログラム(PYP)の「PROGRAMME OF INQUIRY」(探求のプログラム)のセントラル・イデアの分析といきましょう。

。次の表は7歳から8歳(日本の2年生に相当)の「PROGRAMME OF INQUIRY」(探求のプログラム)です。

 

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 では、教科の枠を超えたテーマの「How the world works」のCentral ideaである「Humans use their understanding to serve a variety of purpose.」の構造を見てみましょう。

 

 このCentral ideaは、「人間は~~」という全称命題で作られている。つまり、大変普遍性の高い命題ですぞ。次に「their understanding」や「a variety of purposes」も、個別的なものや特殊的なものを表してはおりませんぞ。その意味で、「全称的」であり、普遍的です。この点で、この命題は普遍的であり、理念的です。

 しかも、さらに、「understanding」や「purpose」自体がまた、「根本的概念」の意味で用いられる「範疇」のようなもんですので、もうこれは大変普遍的で根本的な概念です。大したもんですな。

 

 こうしたセントラル・イデアを用いて、かなり高い教科的な知識を動員したり、学んだりしながら、文字通り、「教科の枠を超えたテーマ」を考えているんですぞ。これが、ディプロマ・プログラムの学びに発展していくんですな。そうしたらもう、すごいことになってしまうんです。それが、ジュネーブ・インターナショナルスクールのすごさにつながっているんです。

 

 で、「私たち」開智望小学校ですが、世界一のジュネーブ・インターナショナルから学びつつ、いつか追い越してやろうと、抱負を高々と掲げて、踏ん張っています。

 

 

【コーディネーター通信】教科の枠を超えた探究のUNIT4が始まります。

二年生の探究を例にいたします。

 

ヒトは太古、火を恐れていたんでしょうな。「いたんでしょうな」というのは、考古学的に考証できませんので、こういうしかないのですが。そのころ、ヒトは自然の一部でしかなく、ヒト自身が、自分と自然とを区別していなかったでしょうな。自然の「気分」しだいによって、ヒトは生きもするし死にもする。そんなような存在だったでしょう。

山火事を見て、恐れおののき、山の噴火を見て、洞窟に逃げ込んでいたんでしょうな。

ところが、ある時、山火事で焼けた森林真中で、焼けた動物の肉を食したら、美味かったという体験や、偶然手に入れた火により暖をとることが出来たという体験などから、火の必要性を痛感していったのでしょう。

最初は、落雷や噴火などで起こった山火事から手に入れた火を大切に守って使っていたのでしょうな。おそらく強い風で揺れ、擦れあった木々の枝から火が起こったことなどを目撃し、実際に自分たちが木々の枝を擦って火を起こす方法を考え出していったんでしょうな。何世代もにわたり、たくさんの失敗をしながら、繰り返し、繰り返し試みたんでしょう。

そして、おそらく旧石器時代の早い時期には、火を使うようになっていたようです。

 火を使うことによってヒトの生活は一変したでしょうな。火を調理に使うようになり、暖を取るようになり、獣から身を守るのに使うようになり、それによりヒトは、どんどん増えていったでしょうな。ヒトの社会も以前とは違う形になったでしょうし、摂取する食事も変化したでしょうから、それに伴ってヒトの体も変わっていったことでしょう。いままで住むことが出来ないような寒冷地にも住むことが出来るようになり、大移動を容易にしたことでしょう。

 そして、暗黒の自然は、火によって照らされ、次第にその正体が捉えられるようになれました。ヒトは、自然を恐れ、火を恐れ、森の片隅でうずくまっている存在ではなくなりました。火によって科学を手にし、自然の支配者になることもできるようになったんでしょうな。

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こうして火に代表される知恵を手にしたヒトは、それを逆手に用いて、様々な分野で、自然の猛威を屈服させ、その猛威を利用し始めることになりますぞ。あたかも、荒れ狂う一つ目の海獣キクリプスを、奸計を用いて屈服させたオデッセイウスのように。

 そして、そのために科学は発展していきます。古代のエジプトでは、ナイル川の氾濫を予知し、ナイル川の猛威を人のために利用しようとする。そのためには、氾濫の時期を予知しなければならない。氾濫の時期と天体の運動には相関関係がある。自然の観察によってそこに気づいていた古代エジプト人たちは、天体の観測を開始しました。それは精緻を極め、天文学幾何学が発達していきました。

 

 18世紀半ば、アメリカでは、嵐の中で凧を挙げている一人の男がいました。ベンジャミン・フランクリンです。手元にはガラス瓶があり、内側には鎖がぶら下がり、その下端には金属の玉がぶら下がっていました。ライデン瓶です。人々が恐れおののく雷の正体を探究しているんです。そして、雷の電気にもプラスとマイナスがあることが発見され、それをもとに避雷針が発明され、人々の生活に安全をもたらしました。

 

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ベンジャミン・フランクリン

雷の正体は静電気であることが分かったんですが、この静電気は、科学の最先端の量子の実験で用いられる「加速器」や「はやぶさ」のイオン・エンジン、身近なところでは、自動車の塗装などに用いられ、私たちの生活と関わっています。

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加速器の内部

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筑波の高エネルギー加速器

 

 

 人類の歴史や、科学のような大げさな話だけではなく、もっと身近なことにも、目を移してみましょう。

 「雪」。豪雪地帯では、雪崩を発生させ、人々を家の中に閉じ込め、交通を遮断する「雪」。雪国の人々にとって、もう本当に嫌になる「雪」。私なぞ、雪国とはとてもいえない長野の生まれですが、「雪かき」は本当に嫌でした。早朝、雪かきをしたと思えは、もう、学校に行く頃は、雪が積もりまくっている。バスは遅れる、遅刻はする。・・・・

 その「雪」も性質を熟知することによって、逆に生活の糧として利用することが出来る。国の重要無形文化財になっている「小千谷縮」。夏の高級織物です。

 

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小千谷縮

 

これが、雪を利用しているんです。「縮」を雪にさらすと白く美しくなります。実は、漂白剤と同じくオゾンの効果なのですが、オゾン漂白剤とは違って生地を傷めないし、かえって強くすんです。それが、雪国のよく晴れた日、紫外線と行くとの相互作用で発生するんです。それを活用して「小千谷縮」を作っているんです。そういうことを、豪雪地帯で生活している北越魚沼市の人々は、経験から学び取っていたんですね。

 

北越雪譜」の作者の鈴木牧之は、小千谷の「縮」問屋の主人でもありました。

 

さて、こう考えていくと、「自然の脅威」を「恩恵」に変えていくためには、どんなことが必要かわかってきます。ただ恐れおののいていてもだめですし、己の運命を呪っているだけでもダメなんですね。「より豊かになりたい」「みんなの生活をすこしでもよくしよう」という強い願望、失敗を繰り返してもくじけない強い意志、観察・仮説・実験・記録・振り返りを生まずたゆまず繰り返していく計画性とスキル、そして、「実体」を明らかにしないとおさまらない科学的精神。こういう「知識」を探究を通して獲得出来たら、それは、将来、たいへん意義のあるものになるでしょう。

 

こういうことを探究するには、Form Causation Reflectionという「概念」を用いる必要があります。参考までにそれぞれがどのようなものなのかを、Making the PYP happenから引用いたします。

 

Form・・・形体

Key concept question・・・What is it like?

これはどのようなものか?(外観)

Definition ・・・The understanding that everything has a form with recognizable features that can be observed, identified, described and categorized.

一切のものは、観察され、認識され、その特徴を説明され、分類されうるような、見てわかる特徴をもった一つの形態を持っているという了解。

Rationale・・・This concept was selected because the ability to observe, identify, describe and categorize is fundamental to human learning within and across all disciplines.

この概念は次のような理由で選ばれた。観察し、認識し、説明し(特徴を述べ)、分類する能力は、すべての教科の内にあると同時に教科を横断する、人間の学びの基礎であるということから、この概念を取り上げた。

Causation・・・因果関係

Key concept question・・・Why is it like it is?

   なぜ、これはこのようなものなのか?

Definition ・・・The understanding that things do not just happen, that there are causal relationships at work, and that actions have consequences.

事物は、今まさに起こっているのではなく(直接的に存在しているのではなく)、そこには働いている因果関係がある、あるいは、作用は結果(影響)を生むという了解。

Rationale・・・This concept was selected because of the importance of prompting students to ask “Why?” and of helping them to recognize that actions and events have reasons and consequences. The analysis of causal relationships is significant within and across all disciplines.

児童・生徒に「なぜ」と問わせるよう誘導することの重要性、児童・生徒が、作用と出来事には原因と結果があるということを認識することを促すことの重要性からこの概念を取り上げた。因果関係の分析は、すべての教科の内に於いても、教科を横につなぐ上でも重要である。

Perspective・・・観点

Key question・・・ What are the points of view?

観点とはなにか?

Definition・・・The understanding that knowledge is moderated by perspectives; different perspectives lead to different interpretations, understandings and findings; perspectives may be individual, group, cultural or disciplinary.

知識は、観点によって規定されるという了解。異なる観点は、異なる解釈、異なる理解、異なる発見につながる。観点は、個人的、集団的、文化的、あるいは、教科的である。

Rationale・・・This concept was selected because of the compelling need to develop in students the disposition towards rejecting simplistic, biased interpretations, towards seeking and considering the points of view of others, and towards developing defensible interpretations.

児童・生徒の、単純化の拒絶に向かう気質の―これは(ものの)解釈に基づいている―、他の観点を探し求め、深く考えることに向かう気質の、そして、正当と認められる解釈の発展に向かう気質の開発のやむにやまれぬ必要性から、この概念を取り上げた。

 

 

私は、こうした概念を用いて、子どもたちがたいへん面白い探究活動を行い、深い知識(知恵)を獲得し、成長していくことを願ってやみません。

 

【コーディネーター通信】開智望まつりに向けて

コーディネーターの北村です。

 

開智望まつりに向けて

 

二年生を例にお話しいたします。

現在、探究のUNIT3を行っています。教科の枠を超えたテーマは「How we organize ourselves」で、「私たちは、何らかの目的のために仕組みを作る」という普遍的な知識(セントラル・イデア)を獲得していこうとしています。

 

 

未来に向かう「普遍的な知識」・・・・

 

この「普遍的な知識」にはどんな意義があるでしょうか。

 

子どもたちは、今は家族や学校というコミュニティーで生活しています。こうしたコミュニティーは、最初は子どもたちにとって、所与のものにすぎませんが、コンセプツを用いた、学校の探究と活動を通して、次第にコミュニティーは、私たちが何らかの目的のために作った仕組みであることを知っていきます。この知識は、やがて、地域社会、国、世界という広がりの中でも、歴史の中でも、実際にそうであることを知っていくことでしょう。

 

2050年、現在から30数年後、社会はきっと大きく変わっていることでしょう。技術的な面だけを考えると、人工頭脳の発達やロボット化は、きっと人間を豊かにし、様々な「問題」や「労働」から人間を解放することでしょう。

 

しかし、そのとき、民族問題、格差問題、食糧問題、資源問題等々の問題が解決しているかどうか。子どもたちが、青年となり、独り立ちしていく過程で解決しなければならないんですね。そういうときに、「組織というものは、人間に外から与えられたものにすぎない」というような消極的な知識しかもっていないとしたら、まぁ、そんなことはないとは思いますが、こりゃ、みんなのために、立場や考え方の違う人もいるのですから、そういうことも含めて、新しい社会を作っていくことが出来なくなってしまう。

 

子どもたちは、今は、身近なコミュニティーのなかで、それを探究することで、「私たちは、何らかの目的のために仕組みを作る」という普遍的な知識(セントラル・イデア)を獲得していっていますが、今後、国、経済、世界等の探究、植物、動物などの生物の探究、生態系の探究などを通して、この知識が大変な普遍性を持つことを「発見」するとともに、この知識を発展させ、より一層強固なものにしていくでしょうね。

 

ところで、ただやみくもに探究を行っても、こうした知識を子どもたち自身が獲得することは、大変難しいんです。むろん、「いいですか、諸君。『私たちは、何らかの目的のために仕組みを作る』ということは大変重要なことです。覚えておきなさい。」というような授業では、知識は子どもたちの能力にはならないし、もちろん「考え方」にはなりません。

 

こういう知識は、様々な事柄の探究を通して、様々な知識を獲得したうえで、ようやく「なるほどそうなのか」という形で獲得されないと、事実に支えられた、自分で考えるという「頭脳に汗をかく」プロセスを介して獲得された、リアリティーのある、「使うことのできる」普遍的な知識にはならないんです。そこで、登場するのが、コンセプツです。

 

子どもたちは、自分たちの仕組みの振り返り(Reflection)、身近な組織がそのような組織である理由(Causation)、自分たちの活動の中の役割を、観点を変えて考える(Perspective)、「望まつり」を作り上げる(Responsibility)というように、概念を用いて考え、発表するものを作り上げています。

 

「方法」としての「概念的な学び」と、その結果獲得される「リアリティーのある概念」、活用される教科の知識やスキル・・・・

 

さて、そのコンセプトですが、例えば、Causationは、PYPのフレーム・ワークであるMaking the PYP happenでは次のように規定されています。

 

Connection・・・関係

Key concept question・・・How is it connected other things?

これは、他のものとどのように関係しているか?

Definition ・・・The understanding that we live in a world of interacting systems in  which the actions of any individual element affect others.

私たちは、どんな個別的な要素も他のものに影響を与えるような相互作用するたくさんのシステムの中で生きているという了解。

Rationale・・・This concept was selected because of the importance of appreciating that nothing exists in a vacuum but, rather, as an element in a system; that the relationships within and among systems are often complex, and that changes in one aspect of a system will have consequences, even through these nay not be immediately apparent; that we must consider the impact of our actions on others, whether at the immediate, personal level or at the level of far-reaching decisions affecting environment and communities.

虚無の中に存在するものはなく、むしろ一切のものは一つのシステムにおける要素として存在している。システムの中の、あるいは、システム間の関係は、多くの場合複雑である。システムの、ある一面における変化は、直接的には見えなくとも、(他に対して)影響を持つであろう。直接的であろうと、個人的レベルであろうと、あるいは、環境と共同体に影響を与える遠大な決定のレベルであろうと、私たちは、自分の行為の他者への影響を熟慮しなければならない。以上の理由により、この概念を取り上げた。

 

 つまり、身近なコミュニティーを探究の対象として、漠然と何の道具立ても用いずに探究するのではなく、Connectionという「道具」を用いて探究するんです。

まず、「How is it connected other things? これは、他のものとどのように関係しているか?」という問いを、子どもたちと一緒に、たとえば、「ホーム」(異年齢学級)に即して、「三年生は、ホームでは、他の学年とどのように関係しているか?」、「実行委員は、ホームでは、他の仲間とどのように関係しているか?」、「実行委員は、ホームでは、他のホームとどのように関係しているか?」等々というように自分たちの置かれている状況に即して具体化します。

 そして、他の組織等々と比較し仮説を立て、その理由を考え、実際の状況から確かめ、考えをまとめていきます。そして、「私たちは、一人一人が、あるいは、学年や役割が、ホームの他の仲間や他のホーム、あるいは、学校全体や地域社会に影響を与えるような相互作用するたくさんのシステムの中で生きているんだ」という知識を獲得していきます。

 ちょっと難しい言い方をすると、対象の概念的把握、あるいは、概念的思考は、対象を普遍的な概念を用いて認識するとともに、その結果として対象の概念を捉えることであるが、そのことは、対象の「概念」はどのような構成要素を必要としているかを認識していくことでもあるんです。

 その「影響」の及ぶ範囲を「数」を用いて表現するときは「算数」で学んだ知識やスキルが役立ちますし、また、逆に、算数で学んだ知識やスキルが現実の探究の強力な方法として活用され、しっかりとした学力に昇華されていきます。

 また、その「影響」の精神的な側面を考えるには、「国語」で学んだ知識が活用されるでしょう。9月・10月に学んだ「動物園のじゅうい」で得た知識は、まさしく、「個人」や「役割」と「組織」との関係を理解するときに先行知識となるとともに、探究の中でリアリティーをより一層強めていくでしょうね。さらに、現在やっている「お手紙」はConnectionというConceptだけでなく、Perspectiveという概念についての理解も深めていくことにつながります。それがさらに、「自分たち」と「ホーム」「クラス」「学校」等の「組織」のあるべき姿の認識、自分たちに対するReflection、自分たちのResponsibilityの自覚ということにつながっていくんです。

 こういう探究を行うことにより、「概念的な学び」は、教科の内部でも、あるいは、教科の枠を超えた問題でも「活用可能」な強力なものに発達していくんですよ。

 

開智望まつりをお楽しみに・・・・

 

こういうふうにして、概念的な学びを通して獲得された「普遍的な知識」と、概念的思考の能力自体、態度を発表する場が、「望まつりは遊びながら学ぶ場である」というテーマの「望まつり」です。テーマから考えて大変楽しいものになりそうです。

それぞれの、グループが、クラスが、ホームが、どのように考え、具体的にどのような知識を獲得し、それに基づきどのように行動しているかをぜひご覧ください。

 

最後に一つお願い・・・・

 

「組織」というのは、開智望小学校の場合、児童と教師だけでなく、保護者の皆様も含みます。それがわが校の「学びのコミュニティー」だと考えています。ですから、皆様も、子どもたちの発表に積極的にかかわってください。つまり、「拍手で終わり・・・」にはしないでいただきたい。質問してください。疑問をぶつけてあげてください。ただし、相手は小3までの児童です。お手柔らかに。