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【副室長コラム】偶然ではない「ひらめき」が生まれる探究

読書
こんにちは、開智望小学校準備室広報担当の野口です。
いつも開智望ブログをご覧いただきありがとうございます。
このブログでは、毎回開智望小学校の教育について紹介しております。

今回は、北村副室長のコラムです。

ぜひお楽しみください。



11月24日(月)付け朝日新聞朝刊(オーサービジット)にて、池上彰さんが本校で授業を行った様子が掲載されました。

以下はその記事の一部です。
「世界の今が知りたい」。そのリクエストに応えようとジャーナリストの池上彰さんが用意したのは、取材先の各国で手に入れた世界地図の数々だった。

 アルゼンチンの地図が黒板に張られた。「自国のすぐ横にあるマルビナス諸島も同じ色にして『うちの国の領土』と主張している。でも英国の地図では……」。
同じ島々が英国と同じ色で塗られ「フォークランド諸島」と記されている。池上さんは1980年代、この島々の領有を巡ってアルゼンチンと英国が争った「フォークランド紛争」を解説し、問いかけた。

「両国と良い関係でいたい国は地図でこの島をどう色付けするべきか?」

 思案する生徒たちの中から明快な答えが飛び出す。「英国もアルゼンチンも島も同じ色に塗る」。「大正解!」と池上さん。

「世界地図では国はいくつかに色分けされている。だからこの2国を同じ色にしちゃえばいい。ほら、実際にカンボジアの世界地図ではそうなっている」
 これに対して、池上さんは、「普段から『哲学対話』の授業をしていると聞きましたが、疑問を感じたらすぐに質問する。その瞬発力に驚きました。一方的な授業でなく、楽しく刺激的な時間でした」とコメントしています。

私もまさしく同感です。

 ところで、私は、このことから、かつて読んだアンリ・ポアンカレの「科学と方法」(岩波文庫 吉田洋一訳)の一説を思い出しています。

ポアンカレというと・・・・、20世紀を代表する数学者・物理学者の一人。位相幾何学の発展に寄与した研究者。宇宙の形状に関する「ポアンカレ予想」。 夏目漱石の小説「明暗」に書かれている数学者・・・・。
 私は、今、特に思い出す一説は、「数学的発見における精神的活動の関与」と彼が呼んだものです。それは、次のような内容です。



 ポアンカレはある関数に類似なものはないことを証明しようとしていました。しかし、証明の糸口がみつかりません。けれども、多忙に紛れはじめ、頭の中からも数学的課題が消えてしまいました。

そのうち、ポアンカレは兵役に従事せざるをえなくなります。そしてこの問題を考えることができなくなります。気の毒なことですな。

ところが、ある日、ある大通りを横断しているときに、すべてが頭の中に一度によみがえってきます。そして、最後の困難を突破する解がひらめきました。

 この体験を振り返り、ポアンカレはその本質を次のように述べています。

「突如として啓示を受けることはある。しかしそれは無意識下で思索的研究がずっと継続していたことを示していることなのだ」。

これを、ポアンカレは「数学的発見における精神活動の関与」と名づけました。
 同じことは、リンゴが落ちるのを見て、万有引力を着想したアイザック・ニュートンにも言えるのでしょうね。ニュートンも、無意識下で探究的な思索を継続していたのでしょう。

それが、「リンゴの落下」という、いわば「トリガー」により、一気に流れ出てきたのでしょう。

 池上彰生の哲学対話の授業で「英国もアルゼンチンも島も同じ色に塗る」と提案した生徒。かれも、ポアンカレニュートンと同じように、無意識下で探究的な思索を続けていたのではないでしょうか。

その内容は、国際平和についてではなかったかもしれません。しかし、何事かについての探究的な思索を続けていたことは間違いないでしょう。
そこに、池上先生からの「両国と良い関係でいたい国は地図でこの島をどう色付けするべきか?」という質問があった。それが、いわば刺激になって、ほぼ瞬時に「英国もアルゼンチンも島も同じ色に塗る」という答えを出した。

ほぼそういうことではないかと考えます。
 ここでもっとも重要なことは、間違いなく、無意識下で何事かについての探究的な思索を続けていたということでしょう。いや、ことによると彼は、意識下でやっていたのかもしれません。

どっちにしても、何事かについての探究的な思索を続けていたということが重要です。それが、なにかをトリガーとして、思いもつかなかった発想につながるのでしょうね。結合できると考えることもない複数の事柄を、まったく新しい関係の中で結合する。そういうのを「創造力」というのなら、その源泉はまさしく「探究的な思惟」を日常的に行っていることなでしょうね。


 二年生のN教諭の探究の授業のことです。一人の児童がN教諭のところにやってきました。

「先生、ホタルはおしりが光るよね。卵も光っているんだよね。それから、幼虫も、さなぎも光っている。」
「そうだね。」
「それでね、ボク、すごいこと考えたんだよ。先生、聞いてくれる?」
「いいよ。言ってこらん。」

「ホタルが、卵のときから、光っていて、幼虫のときも、さなぎのときも、成虫のときも、ひかっているということはね。きっと、何か同じものが体の中にあるせいだよ。」

「ふーん、すごいことに気づいたね。」
「それでね、前の探究のとき、○○ちゃんが言っていたことなんだけど・・・・。」
「なんだい?」
「ホタルって、いつも水のあるところに住んでいるでしょ。」
「そうだね。」
「だから、きっと、体の中にあるものが光るには、水が必要なのかなって考えたんだよ。」
「これは、大変すごいこと考えたね。じゃぁ、どうやったら君の考えが正しいことを調べることができるだろうね?」

すると、横で聞いていた児童が言いました。

「あっ、ぼく、いいこと考えた。ホタルをたくさん捕ってきて、二つに分けてかごに入れるんだよ。そして、片方のかごには水を入れておくんだ。もうひとつのかごには水を入れておかないんだよ。
それで、水を入れたほうのホタルが光っていて、水を入れなかったほうのホタルが光らなかくなったら、間違いなく、光るには水が必要なんだよ。」・・・・

この児童が調べ学習でわかったことがあります。それは、ホタルが卵から成虫まで、ずっと光っているということでした。

それと、ホタルは水辺に生息しているということでした。

しかし、この児童は、それらの事実から、光るのは同一の実体の作用によること、その作用には水が必要であることに気づきました。

この児童は、頻繁に資料を見ていたということですから、おそらく、本人の意識下で探究的な思考が行われていたのでしょう。

それが、ある日、突然、「ひらめき」となって結実したに違いありません。

また、この児童は、探究活動の中で、仲間の誰かが言ったことを聞き逃しませんでした。自分にとって必要な情報を正確にキャッチしています。

二年生という学齢を考えると、おそらく意識的にキャッチしたのではないでしょうね。ただ、大変高い知的好奇心が涵養されていたため、その知的好奇心の「アミ」に情報がひっかかったのでしょうね。

さまざまな言葉(情報)が学びの場を飛びかっています。これは、協働学習の大変大きな機能の一つです。

 しかし、こういう探究を、一年生から計画的に行っているということが今後の学びのあり方にとってとても重要なのでしょうね。

おそらく、高校生になってから初めて探究活動に参加した場合は、小学校のころに探究活動に参加してのと比べ、はるかに効果が低いだろうと推測します。

また、同じ小学校から実施する場合でも、学校生活の一部分で実施するのと、学校生活全般にわたって行うとでは、効果のほどがはるかに違うでしようね。

さらに、その探究活動があらかじめ計画されており、ファクトやトピックを探究しながらも、それらを超えて、世界観にまで向かっていくのと、ファクトやトピックの探究にとどまってしまっているのとでは、その効果はまったく違ってくるでしょうね。
 ニュートンポアンカレーがどんな少年時代をすごしたのでしょうか。

それも探究してみたくなりました。ある程度仮説は立ちますが。

 先月、文科省は、中央教育審議会に諮問を行いました。諮問の「理由」は次のとおりです。

「今の子供たちやこれから誕生する子供たちが,成人して社会で活躍する頃には,我が国は,厳しい挑戦の時代を迎えていると予想されます。

生産年齢人口の減少,グローバル化の進展や絶え間ない技術革新等により,社会構造や雇用環境は大きく変化し,子供たちが就くことになる職業の在り方についても,現在とは様変わりすることになるだろうと指摘されています。

また,成熟社会を迎えた我が国が,個人と社会の豊かさを追求していくためには,一人一人の多様性を原動力とし,新たな価値を生み出していくことが必要となります。

我が国の将来を担う子供たちには,こうした変化を乗り越え,伝統や文化に立脚し,高い志や意欲を持つ自立した人間として,他者と協働しながら価値の創造に挑み,未来を切り開いていく力を身に付けることが求められます。」

・・・・初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)26文科初第852号
平成26年11月20日 中央教育審議会

 そして、諮問項目が挙げられていますが、その中のひとつに 「『アクティブ・ラーニング』などの新たな学習・指導方法や,このような新しい学びに対応した教材や評価手法の今後の在り方についてどのように考えるか。

また,そうした教材や評価手法の更なる開発や普及を図るために,どのような支援が必要か。」というのがあります。「アクティブラーニング」は、やっとその緒に就いたというところです。
 しかし、私たちには、開智学園で培ってきたノウハウがあり、さらに、世界約140カ国、3000校を超える国際バカロレアのプログラムを採用している教育機関の実践経験に裏打ちされ、発展しつつあるプログラムがあります。

そして、こうした探究活動が普通に行われている日常だからこそ、哲学対話における「ひらめき」が生まれるのだと確信しています。それがさらに、ポアンカレニュートンのようなひらめきにつながっていけたらと願ってやみません。

 ところで、12月14日(日)に、品川で開催された「国際バカロレア経験者が語る、IB教育の実態」に参加してきました。このとき、パネラーとして参加していた四人の学生の話を聞いて、わたしたちの教育観に自信を持ちました。

彼女らは、IBの経験を語り出しました。

「私たちは、大学に入って物理の記号が変わるくらいでは、どうってことないんです。日本の大学生はあたふたするようですけれど。私たち、IBで学んできた学生は、精神的強靭さがあるんです。」
「レポートを書くから、知識が身に付くんです。課題を考えているからこそ、知識が身に付くんです。日本の学校は、インプットばかりを考えていますが、アウトプットがあるからこそ知識が身に付くし、定着するんです。」

「ビッグ・バン理論を使って小説を書きなさいという課題が出されました。わたしは、この経験から、物理学を志したんです。」

 みんな、探究的な学びの意義、主体的な学びの意義、知的好奇心、インプットよりもアウトプットの重要性等々、教育の根幹にかかわる事柄に対する大変貴重な提言になっていました。

 次回は、このとき、わたしたちが学んだこととともに、知的好奇心はどのようにして生じ、どのようにして学びを貫き、発展していくかということについて考えてみます。