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【副室長コラム】知的好奇心は学びのプロセスを貫いて花開く

こんにちは、開智望小学校準備室広報担当の野口です。
いつも開智望ブログをご覧いただきありがとうございます。
このブログでは、毎回開智望小学校の教育について紹介しております。

さて、今日で2014年も終わりですね。
皆さまのご支援・ご協力のもとブログを継続できたことに感謝申し上げます。

本年最後の記事は副室長コラムです。

ぜひご覧ください。

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 「初めての現代数学」という本の中で、著者の瀬山士郎氏は、日本の数学教育の問題点について次のように語っています。

 「・・・今、数学にとってもっとも必要なことは、数学についてのいわれなき嫌悪感を少しでも解消すること、少しでも数学に親しみを持ってもらうことだと思う・・・現代の学校教育は、そのシステムによって多くの数学嫌いを作り出してきた。それは、しかし、数学の罪ではない。数学もそのような教育の被害者なのである。・・・・」

 言われてみれば、たしかに思い当たりますな。高校のときの数学のK先生。彼は、ひたすら、まったくひたすら、ぶつぶつと説明しながら黒板で問題を解いていましたな、生徒にシリを向けたままで。知的好奇心の喚起・発達から、探究・発見なんてどこにもありません。

 「それは、教師の癖(資質)の問題であって、システムの問題ではない」とおっしゃる向きもあるかもしれません。しかし、これは、学習者に「なぜそうなるのか」を考えさせることよりも、解き方を教授することのほうを優先する日本の教育のシステムが、K先生の行動に表れていたと考えるほうが正解でしょうな。

 あの時、少しでも、ガリレオが考えた惑星の楕円軌道や、ニュートンの「落下運動」のとらえ方、あるいは、ライプニッツモナドについて、手持ちの知識や方法で考える機会を与えてくれたなら、私たちの人生も、多少は違ったものになっていたかもしれない・・・なんて、思ってもしかたないことですけれどね。

 しかし、次のような学びあいだったらどうだったでしょうか。

 まず、西部劇でガンマンが拳銃を撃つ動画を見ます。つぎに、今度は、動画の一コマ一コマを見せます。そして、気づいたことを発表しあいます。

「ガンマンのドク・ホリディー、カッコええな。」

「やっぱり、ドク・ホリディーの早撃ちはすごいな。」

「でも、一コマ一コマの分解してみると、ほとんど変化していないな。」

「たしかに前の一コマとつぎの一コマを比べるとほとんど変化していないぞ。」

「そのかわり、どうやって銃を抜いたか、どうやって構えて、どう撃ったかははっきりわかるぞ。」

「すると、微分法というのは、こういうことか。つまり、うんと細かく分けて、目に見える大きな変化の奥で起こっている因果関係を捉える方法ってことか。」

「そうだな、大きく見ていると、変化の要因が何かを捉えられないけど、こうやって細分化してみると、変化の要因が割り出されてくるな。」

「なるほど、そうすると、微分法には、時間の微細な変化も関係していることになるな。」

「それで、微分方程式には、『d』をつかうんだな。『differential』のことだな。『小さい差』という意味だ。」

「なんで、分数の形になっているんだ?」

「そりゃ、『比』を表しているからだよ。yの変化とxの変化の『比』だろう。分数は『比の値』を表しているんだ。小学校のときにやったじゃないか。」

「じゃ、この変化を式で表すとどうなるかね。」・・・・・

微分、使うとどんなことがわかるんだろう?」

「次にどう変化するかがわかるんとちゃうか。0,001秒後も、10時間後も、10年後も。」

「おい、こいつを使えば、『はやぶさ』が、0, 001秒くらいで軌道修正できるってことだよな。すごいぜ。」

「社会の問題も、数量化すると微分を使って、予想できるかもしれないぞ。」・・・・

 話題になった『渋滞学』(新潮選書)の著者の西成活裕教授の専門は数理物理学でしたね。彼は、数学をさまざまな問題解析に活用しています。

 こういう学びあいならば、学習者の知的好奇心はどんどん発達し、探究が行われ、先行知識を用いて思考が行われています。

 数学で小論文がかけるかもしれませんね。

 先のブログにも書きましたが、12月14日に、日本初の国際バカロレア専門メディア「IBJPN.com」の 山内学先生が主催した国際バカロレアの学校で学んだ学生たちのシンポジウムで、岡庭 晴さん(Facebookグループ「国際バカロレアコミュニティ」管理人。IBDPスコア45点満点の東大1年生)が語っていたことを思い出します。
 「ディプロマ・プログラムで学んでいるとき、物理で『ビッグ・バン理論を用いて小説を書け』という課題を与えられました。私は、それがあったから物理を専攻しようと思ったんです。」

 岡庭さんもすごいですが、こういう学びあいをやっていたら、数学の小論文くらい、平気で書けるようになってしまうんでしょうな。

 こういう学びあいを貫いているのは、「知的好奇心」です。教師(「ファシリテーター」というほうが適当ですかな)は、知的好奇心を高めるために、生徒たちに、西部劇でガンマンが拳銃を撃つ動画を見せました。ここで目覚めた知的好奇心が、学びあいの中で、どんどん高まっていき、探究につながっていきます。そして、生徒たちが協同して「知識」を組み立てていくのがわかりますでしょう。

 こうなると、数学が苦手であるかどうかは、もう問題になりません。そんなことは自分たちの力で乗り越えていってしまいます。

 これも、国際バカロレアのディプロマ・プログラムで学んだ学生の話ですが、ディプロマ・プログラムで学んだ学生は、学んだことがないことが出てきても、まったくもって平気だそうです。どんどん調べて、どんどん考え、どんどん自分のものにしてしまい、じゃんじゃん活用していってしまうということです。まあ、こういう学びをやっているわけですから当たり前といえば当たり前ですがね。 



 ところで、今までの解法を教えてたくさん解かせるタイプの指導法は、すでに行き詰っています。12月22日、中央教育審議会の答申、「子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた柔軟かつ効果的な教育システムの構築について」(中教審第178号)では、次のように述べています。

「平成20年の学習指導要領改訂においては、競争と技術革新が絶え間なく起こり、幅広い知識と柔軟な思考力に基づき新たな知や価値を創造する能力が求められている現代の社会情勢を踏まえ、知識・技能の習得と思考力・判断力・表現力等の育成のバランスを重視して・・・・」

 平成20年の学習指導要領改定以来、日本の教育は、知識と機能の習得だけではなく、思考力・判断力・表現力にも相当の力を入れ始め、その方向は、今日に至り、よりいっそう拍車がかかってきたということです。ですから、今見たような学びあいが必要なんですね。

 万学の祖とされるアリストテレスは、学問とは、ただ事実を知るだけでなく、それらの事実の根拠、原因を探究するものであり、理論学、実践学、製作学に分かれるといっています。「理論学」が「思考力」、「実践学」が「判断力」、「製作学」が「表現力」に相当するのですが、アリストテレスによると、この三つの学問領域は平等ではなく、「理論学」がもっとも優位にあるということです。

 「すべての人間は、生まれつき知ることを欲する」と語るアリストテレスは、ことがらの原理の知的な探究こそが判断力や、表現力の大元であること、知的な探究を突き動かしていく、いわば「エネルギー」が「知的好奇心」であることをほんとうによくわかっていたんですね。アリストテレスは、このことを「愛智」といっています。学問は、「驚き」からスタートします。ごく身近なことに対する驚きから、宇宙の神秘に対する驚きまで。そして、「驚き」は、「愛智」、つまり、「知的好奇心」となり、人をして「探究」に駆り立てます。さすが、アリストテレスです。

 

 さて、11月29日(土)、一年生の子どもたちを対象に、開智望小準備委員のY教諭による探究の学びあいが行われました。これが、知的好奇心の問題と深く関係しています。

 この探究は、土曜日の午後行われ、前日は授業公開日だったため、子どもたちは大変疲れていました。そのうえ、Y教諭は、日常一年生には関わっていませんでした。そういう状況の中で、「ヒトと環境とは互いに影響しあう」という、一年生には難しいと思われるセントラル・アイデアの探究を行うわけです。この探究の学びあいは、はたしてうまくいくでしょうか。正直なところ、私も不安でした。さてうまくいったでしょうか。

 実は、・・・・たいへんうまくいきました。

 Y教諭は最初に子どもたちにルーブリック(評価基準)を示し、それを子どもたちと共有しました。つまり、この探究の学びあいの中でどういう力を獲得するのかを子どもたちと共有したんです。

 どんな力を獲得するかというと、協働する力、コミュニケーションする力、形や様子・変化・関わり(関係)といった「概念」を使って考える力、そして、人間が生きるうえで必要な知識です。これらをあらかじめ子どもたちに示し、子どもたちと「握った」わけです。これで、子どもたちはこの探究の学びの中で自分たちが何をすればいいのかがある程度はっきりわかったようです。

 次に、Y教諭は、子どもたちに環境破壊のDVDを見せました。これは、すべて英語で解説されているため、一年生には少し難しいのではないかと思われました。見学している保護者のかたがたもちょっと不安そうでした。さあ、始まりました。

 一年生の諸君はDVDを食い入るように見ています。この段階で決まってしまいました。つまり、子どもたちは大変高い知的好奇心をこの問題に向け始めたんです。もし、子どもたちと、形や様子・変化・関わりという「概念」を用いて考えるというルーブリックをあらかじめ共有していなかったら、子どもたちはこれほど強い知的好奇心を持たなかったかもしれません。

 さて、この後、Y教諭は、子どもたちに、「今見た環境破壊について、みんなが知っていることを、ポストイットにひとつずつ書いてごらん。」という指示を出しました。子どもたちは最初は戸惑っていましたが、互いに、どんなことを書いているかを見合ったり、隣のグループの様子を見合ったりしているうちに・・・・これはカンニングではありませんよ、協働学習です・・・、活発に活動し始めました。さて、次に、Y教諭は、「壁に貼ったシンキング・ツールを利用して、みんなの意見をひとつも無駄にしないようにまとめてみよう」という指示を出しました。中心になる子どもが登場したり、アイデアを出す子どもが登場したり・・・・、協働的な作業が、大変活発に行われました。動いていない子どもはいません。

 さて、プレゼンテーションです。これも驚きました。子どもたちが、それぞれポストイット「人間が原因で起こること」「自然自身のうちに原因があって起こること」「人間がしなくてはいけないこと」に分類されていたんです。

 問題を解決するために必要なことは、問題を絞り込むことです。だいたいが社会の問題はかなり複雑で、ぐちゃぐちゃにこんがらかっているのが常ですな。こういうこんがらかった糸を上手に解きほぐしていくのが、「分類」という作業なのですが、子どもたちは、ここまで一時間足らずの時間でやってしまったんです。驚きました。と同時に感動しました。大人にだって、こういうことができないでこんがらがっている人がたくさんいる・・・・。年をとって涙腺がやや弱くなっているワタシは・・・・。このあとも、子どもたちが、「もっとやろう」と言い出したため、この探究の学びあいはさらに一時間ほど続きました。

 ともかく、私たちの心配もどこ吹く風、この探究の学びあいがこんなにうまくいったのは、最初のルーブリックの共有と、DVDによって子どもたちの知的好奇心に火がついたことにあるのは間違いありません。それにしても、「一年生だから、無理だろう・・・・」ということはありませんな。ひとたび好奇心に火がつくと、一年生にもとてつもないことができるということを目の当たりにした瞬間でした。

 しかも、最初に子どもたちと共有したルーブリックに基づき、子どもたちは自己評価を行いますし、Y教諭も子どもたちを評価しますので、子どもたちは、この日に発揮した力を自覚して、他の学びにも活用し発達させることができるんですな。

 このときはまた、日常、準備室で侃侃諤諤、喧々囂々の議論をしている方法に、そして、今行っている開智望小学校の学びの設計に、ちょっぴり自信を持った瞬間でもありました。