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●学校だより 11 はじめての「旅」

教育観
「ウポコ・ポコフィイ・ホッペ・プク・ワイワイ」
7月7日(火)、ニュージーランドウェリントンから、小学校の先生のニック先生と、画家のジェームズ先生が開智望小学校にやってきました。
二人は、ニュージーランドの先住民のマオリ族出身です。マオリ族は、ハワイやタヒチと共通す部分の多いポリネシアの文化を伝承しています。



マオリというと、すぐ思い浮かぶのは、ニュージーランドフットボールチームが戦いの前に行うハカです。



もとは、マオリ族の戦士が戦いの前に威嚇のために行う儀式だったんです。





マオリ族の伝統的な家屋です。「魔よけ」が付いています。

さて、クラスごとに、ニック先生、ジェームズ先生がマオリの文化を紹介しながら、子どもたちに参加させていきます。コミュニケーションは英語で行い、ジョン先生がサポートします。


「トゥリトゥリ」
 知らなかった人々、知らなかった文化にふれ、子どもたちは興奮気味です。騒いでいます。
 ニック先生が、頭の上に両手を乗せ、「トゥリトゥリ」といいます。すると、子どもたちも真似をして、頭の上に両手を乗せ、「トゥリトゥリ」といいます。一瞬静かになります。それをニック先生は親指を立てて「good」とほめます。それから後は、ニック先生が何かを話すとき、頭の上に両手を乗せ、「トゥリトゥリ」と言うと、子どもたちも同じように頭の上に両手を乗せ、「トゥリトゥリ」。一瞬で話を聞く体勢になります。
 まったく、人種文化の相違を感じません。ニック先生やジェームズ先生からさまざまなことをどんどん受け入れて、行動にあらわしています。子どもたちの柔軟さでしょうね。





「ウポコ・ポコフィイ・ホッペ・プク・ワイワイ」
ニック先生がギターを弾き、「10人のインディアン・ボーイ」のメロディーに乗せて、「ウポコ・ポコフィイ・ホッペ・プク・ワイワイ」と歌いながら踊ります。「ウポコ」は頭に両手を乗せます。「ポコフィイ」は肩に、「ホッペ」は腰に、「プック」はおなかに、そして、「ワイワイ」は足に。
 子どもたちは、「エーッ、ホッペって、腰なの?」「足は、ワイワイだって。おもしろーい。」大騒ぎして、喜んで踊って歌っています。
私は、「『プク』は腹か。」と思いながら、自分の腹を見て、なるほどなと思った次第。案外、日本語の一部はポリネシア方面からやってきたのかも知れんな、などと考えていました。
実は、いくつかの言葉を忘れていました。先ほど職員室の前を通った子どもたちに聞いたら、「それは『ポコフィイ』だよ。」と教えてくれました。いやはや、子どもたちの吸収力の早いこと。
ニック先生とジェームズ先生は、一年生たちに、ニュージーランドの小学校の動画を見せました。制服のまま活動している児童、みんなの前でプレゼンテーションしている児童、グループワークを行っている児童たち、家で父親とゆったりといすに腰掛け本を読んでいる児童。開智望小学校と同じところもあれば、異なるところもあります。子どもたちはそれを認識していきます。
国際バカロレア機構のアジア太平洋地区代表、イアン・チャンバース氏は、「国際教育とは、児童・生徒たちが自分たちの住む世界、そして、その世界を構成している多様性に感謝し、これらから多様性を理解し、多くの異なる視点を学び、その異なる視点が正しいかもしれないということを学ぶことです。」と言っています。わたしはまさしくそのとおりだと考えます。だからこと、あたらしい社会や世界を担いうる青年を育むことができるんです。
というようなことを思いながら、子どもたちの生き生きとした動きを見ておりました。こういうふうにして、子どもたちは、自分たちの住む世界の多様性に感謝し、理解し、自分たちとは異なる視点や考え方をまなんでいくのですなあ。




魔よけ
ニック先生とジェームズ先生は、二年生たちには、マオリの家屋の写真を見せました。「魔よけ」が付いています。ニック先生が疑問出しをします。「これと同じように君たちの家にもこんなお守りがないかな?魔よけの模様がないかな?この紙に書いてごらん。」夢中になって書き始める子どもたち。しかし、彼らには、取り立てて思い当たるものがないようです。
こういうところでも、相違や多様性とその意義を子どもたちは理解していきます。これは、二学期に行う、探究「How we express ourselves」や、今一年生がやっている「サインとシンボル」の探究に繋がるものでもありますし、多様性の尊重と理解にも発展していくものです。

最後に、ニック先生とジェームズ先生の指導により「ハカ」をやりました。
子どもたちにとって楽しくたくさんのことを学んだ「異文化交流」でしたが、ニック先生やジェームズ先生にとっても日本の子どもたちについての理解を深めるよい機会であったということです。「かわいく元気な子どもたちで、僕たちは、この子達が大好きです。来年ももう一度来たい」という言葉を残して、帰っていきました。





Concepts Based Learningを探究する
探究の続きです。ランドマークを「Connection」(関係・作用)から見て、人々との関係を認識し、「Function」(役割・働き)から見て、ランドマークの持つ人々の願いをつなぐ役割を理解した二年生の子どもたちは、いよいよ守谷(というよりも茨城県県南)の昔の人々の暮らしを知りたくなりました。

先行知識の確認から仮説とその根拠へ
これがわからないと、人々の願いや望みもわからないというわけです。そういうわけで、まず、先行知識の確認です。「このあたりの人々は昔どんなものを作っていたのか。」これについて出てきた先行知識は、「米」「田」「そば」「納豆」等でした。これを基にして、仮説を作ります。「田で米を作っていた。」「その理由は?」「長野盆地のところで見たけれど、水がたくさんあるし平野もあるから」「昔は、お米が財産だったから。」「殿様に命じられていたから。」仮説とともに、その根拠(理由)を示します。この後、資料に当たるわけですが、その結果、仮説が間違っていたら、その理由のどこが間違っていたのか、どう考えたらいいのか、という振り返りが行われるわけですね。

検証のための調査
つぎの写真は、立沢の里山周辺です。水田を作っています。




子どもたちは、昔も米を作っていたという仮設を立てます。では、どうしたら検証できるか。子どもたちは民話を調べることにしました。





湿地帯にまで稲を植えなければならなかった農民の、悲しいお話です。子どもたちの仮説は正しいことが検証されました。

あたらしい疑問と広がる知識、深まる認識
しかし、新しい疑問が出てきます。「なんでそんなにお米を作らねばならなかったのだろう?」
先行知識から仮説が立てられます。「きっと殿様が米を奪うからだよ。」「もともとあんまりお米がとれないかもしれないよ。」
こうして、調査に入ります。




農民が、役人に年貢を納める絵です。
子どもたちは、農民の表情に注目します。「辛そうな顔をしている。」「悲しそう。」




「これは蔵屋敷です。」「殿様はお金かせ必要になると、ここに入っているお米を売って、お金に換えるんだよ。」




「蔵屋敷の中には、こんなにお米が入っている。」
「不公平だよ。」
「お百姓さんがかわいそうだよ。」


再び最近接領域で
こうして、仮説は検証されました。ここからわかったことを整理して、守谷の昔の人々の気持ちや願いを考えます。これは、最近接領域での思考が行われます。
「生活が苦しかった。」「殿様を恨んでいた。」「でも、殿様はお米を蓄えていたんだから、いざというときは、分けてくれたかも知れない。だから、少しは感謝していたのかも。」
「じゃぁ、どんな願いをもっていたのだろうね。」
「1人二人が助かっても、みんなが幸せにならないとだめだよ。」「もっとお米が取れたらなあという願いがあった。」「もと豊かになれたらいいなあという願いだよ。」
 こんなふうに、考えたことをポストイットに書いてシンキングツールに貼り付けて考えを整理していきます。









Concepts basedだからこそ深まる認識、広がる知識
ランドマークの持つ、人々の願いをつなぐ役割を理解していこうというセントラル・アイデアに向かい、ランドマークを「Connection」(関係・作用)から見て人々との関係を認識したり、「Function」(役割・働き)から見て、人々のどんな願いを表しているかを考えたりために、ちょっとした「旅」をしているんです。この「旅」の中で、さまざまなことを考え、さまざまな知識を得て、さまざまな見方やスキルを身につけて、元のところに戻ってきたとき、「ランドマーク」は彼らにとって、最初とはまったく別の意味を帯びてくるんです。
子どもたちは、その過程の中で、守谷市に八坂神社があり、祭られている神は牛頭天皇で、疫病退散の神であったこと。つまり、利根川流域は昔から洪水が繰り返され、その都度、伝染病が蔓延したことなども知りました。
どんどん子どもたちは知識を得て、思考を掘り下げていきます。
ついに、「世界のランドマークを知りたい」という声が上がりました。そのランドマークに込められた願いを知りたいという要求も出ました。探究は新たなステージに入ります。次回はそれについて述べ、ひとまず、ConceptやSkillsの話を終わりにする予定です。

子どもたちにとって最初の精神の旅
「お寺の鐘がきこえて、おなじみの高い塔と、大きな町が見えてきました。それこそ、ふたりがすんでいた町でした。そこでふたりは、おばあさまの家の戸口へいって、階段をあがって、部屋へはいりました。そこではなにもかも、せんとかわっていませんでした。柱どけいが「カッチンカッチン」いって、針がまわっていました。けれど、その戸口をはいるとき、自分たちが、いつかもう大人になっていることに気がつきました。」(楠山正雄訳)。アンデルセンの「雪の女王」の最後の部分の言葉です。
 主人公のゲルダは、旅の中でさまざまの経験をし、さまざまのことを考え、危機を乗り越え、さまざまの知識を得ました。そして、元の町に帰り着いたとき、町は以前とは違った光を放っていました。
 探究の「旅」は、子どもたち自身が行うがゆえに、子どもたちは自分自身でさまざまなことを考え、さまざまな知見を得、さまざまなスキルを身につけ、そして、成長するのです。
 夏休みを迎え、「探究活動」の課題を自ら設定する子どもたち。ぜひとも、子どもたちが自力でやり遂げられるようご支援いただければと願ってやみません。