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【コーディネーター便り】夏の思い出

台風の中の登山

  三十年以上前の話です。二十九歳だった頃です。その頃、私は、太っていませんでしたし、多少、冒険も求めていました。
 当時は、奈良県橿原市に住んでいたんですが、盆になったので帰省しました。そのとき、




台風がやってきて日本を縦断しようとしていました。

 私は、台風が九州あたりに上陸した八月十五日、八ヶ岳に上ろうと考えていました。馬鹿ですね。十四日に、川上村で教師をしていた弟の教員住宅で一泊し、十五日の朝、低い雲が空を覆い、間歇的に降ってくる雨の中、弟に車で登山口の稲子温泉まで送ってもらい、そこから1人で山道をたどり始めました。

 森林の中は、風は弱く、濃い霧も発生してはいませんでしたが、午前11時頃、中山峠に着くと濃い霧が渦巻いていました。尾根を東天狗岳のほうに向かっていくとさらに霧が濃くなり、伸ばした手の先も見えなくなるほどでしたな。面白かったのは、大きな掛け声が聞こえてくるのですが、姿がどこにも見えないということです。しばらくすると、霧の中から目の前に突然、大きなリュックを背負った男たちが姿を現し、ぶつかりそうになることでした。それでも、「コンチハ」「気をつけてください」と声をかけあい、すれ違っていきました。



 風も強くなり、根石岳を越えたところで、「こりゃ、えらいこっちゃ。ちょっとやばいぞ。根石山荘に逃げ込もうかいな。」と決断しました。根石山荘は根石岳から硫黄岳の手前の森林の間の、木の生えていない吹きさらしの尾根の、西側の斜面にあります。ところが、それが見えません。それほど霧が濃いのです。しかもまだ二時ごろだというのに辺りはずいぶん暗くなり始めています。霧は灰色になってきました。
 
 そのうち、硫黄岳の手前の森林の中に入ってしまいました。霧は、森林の中にも入り込み、大木や、その枝にかかるサルオガセに絡んでいます。

「こりゃ、アカン。行き過ぎてしもうたがな。」引き返すことにしました。今度は、遭難防止のために尾根の両側のやや下に張ってあるロープをたどって行きました。そのロープが突然下に向かって下っているところに、突然、木と意思とで作った階段が見えました。降りていくと、突然目の前に木戸が現れ、ぶつかりそうになりました。ようやく根石山荘に、文字どおり「たどりつき」ました。
 ここに一泊することに決め、ぬれた服を着替え、一休みしていると、二人づれの登山者、五人づれの登山者が避難してきました。あたりは夕方のように暗くなってきています。遅い昼飯に持ってきた握り飯を食い、一休みしているうちに居眠りしてしまったのでしょう。尿意を催して起きると6時半になっています。


闇の中の不可思議な光

 山小屋の隣にある便所に行きました。「トイレ」と言うよりも「便所」と言ったほうがふさわしい代物です。風が耳元でゴーゴーともピューピーともいえない複雑な音を立てています。吹き飛ばされないように、柱にしがみつきながら、小用をたしていると、ガラスの入っていない窓の外は真っ暗な闇です。次第に目が慣れてくると、黒く分厚い雲と、雲の切れ目から見える漆黒の空が見えてきました。

 このとき、私は、大変びっくりしました。おかしな光が見えたのです。決して明るい光ではありません。しかも、ほんの1秒か2秒で消えてしまいました。一瞬、目の錯覚かと思いました。ところが、また見え、そして、すぐに消えました。

 「なんじゃ、こりゃ。」ちょっと薄気味悪く感じつつも、光の消えたあたりを凝視していると、そことは少しずれたあたりで、再び光が見えました。その光は、私の目よりも斜め下に、ちょうど鼻の先あたりに見えました。闇の中なので立体感を感じません。遠くにあるものなのか、それとも近くにあるものなのか、さっぱり見当が付かないのです。

 それで、よけい一生懸命凝視していると、また光が見え始めました。マッチ棒の頭ほどの小さな光の玉が、ゆっくりゆっくりと上っていきます。見かけの高さで五センチくらいのところで、タンポポの鼻くらいの大きさの、光の花を咲かせます。

 「そうや。今日は諏訪湖の花火大会やったがな。」と思い出したとたんに、距離感もつかめました。花火は30キロメートルほど離れた諏訪湖で上がっていたんですな。すると、いままで見えていなかった光も見えてきました。下のほうには、もやもやとした糸くずのような光の束がかすかに見えます。光の花の中には、赤や青の光の粒も見えてきました。

思考と世界との関係

 この経験は、いまだにリアルに思い出します。大変鮮やかに記憶されているんです。あのとき、私は、はじめは「闇の中に見えた光が花火だ」とは気づかなかった。それどころか、すぐ鼻の先に何かが突然出現したと思い込んだんです。しかも、遠近感も感じませんでした。「目の錯覚」という私の主観の中で起こったことかとも思いました。その時の私の知覚に打った映像は、エルンスト・マッハの言うところの「網膜のそこに映った映像」です。しかも、台風が来ているし、濃霧が発生しているのだから、辺りが見えるはずがないという先入観も働いていました。しかし、次の瞬間に、私は、自分の中に蓄えられていた「知識」、すなわち、「今日は、八月十五日だから、諏訪湖の花火大会である。」という知識を手繰り寄せました。すると、見え方が変わりました。距離感もつかめましたし、微妙な色も、下に上がっている細かな花火も見え始めたんです。世界の見え方が変わったんです。そのとき、私は、この現象が、私の主観の中で起こっている現象ではなく、間違いなく自分の外で、しかも、30キロメートルも離れているところで今起こっている出来事だと認識したんです。そういう思考とその結果に対する驚きがあったせいですかな。この記憶はいまだ色あせずに、リアルに思い出すことができます。

思考があってこそ・・・

 すると、次のようなことも分かってきます。現象は、それだけではその本質を認識できないし、自分の主観の中で起こっているのか、それとも自分の外の世界で起こっているのかも分からない。しかし、私自身が先行知識の中から必要な知識を選別するとともに、私の脳が私の「知覚」を分析しはじめ、その正体を明らかにしました。そのとき、不可思議な現象は、もはや、不可思議でも錯覚でもなく、明らかに自分の外で起こっている現象に他ならないことが理解されるということです。思考があってこそ、対象がなんたるかが理解されるのです。しかもそれだけでなく、世界の見え方が変わってくるのですぞ。逆に、思考がないと、身の回りで起こっているさまざまな現象が、先行知識と関連付けて認識されないばかりか、その意味や意義さえ理解できないということになります。
 思考は、人間の主体的な作用です。知識は、その作用によって得られるものです。受身ではだめなんです。
 そんなことを八月十五日に、蓼科から霧が峰、美ヶ原へと山の中を、母を乗せてドライブしながら考えた夏休みでした。
 ちなみの、この、レンゲツツジニッコウキスゲやスズランなどの高山植物が生息する山岳地帯を貫く「霧が峰ビーナスライン」の開発と自然保護団体の苦悩や闘いを、新田次郎さんが「霧の子孫たち」という小説にしました。現代にとっても大変意義のある小説だと思います。