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【コーディネーター便り】立体図形の感性を育む授業・構成主義について

教育観

◎立体図形の感性を育む授業

13日の日曜日青木理事長・校長といっしょに、灘中高の元教頭の倉石 寛先生(立命館大学教育開発推進機構教授)と話をしました。

数理学習研究所の所長で「本当の算数力」(日本実業出版社)、「論理的思考のための数学教室」(同)の著者の小田敏弘先生の話しが出ました。

中国では、小田先生の作った教材の導入を行っているという話から始まったのですが、小田先生は、数学的な感性をどう磨くかということと、トップレベルをどう育てるかという問題に取り組んでいます。この「数学的な感性をどう育てるか」という問題について、倉石先生も青木理事長も私も、ほぼ異口同音に言ったことは、「立体についての感性は、幼い頃に形成されるので、小5や小6だともう遅いかもしれない」ということでした。つまり、遅くも小4までには立体的な感性を形成しなければならないということです。そのためには、立体で遊ぶことがたいへん重要です。そういう観点から、私たちの算数の授業を振り返って見ますと、二年生の算数と一年生の算数系のクラスはたいへん面白いですな。さまざまな図形(立体図形を含む)を作って遊び、その中から、規則性を発見させています。

公式や考え方を教え込み、それを使って、問題を解かせるというのは、一つの方法ですが、ここには、子どもたち自身による、分析や総合、一般化による知識の習得というファクターがありません。また、習得した知識を通して対象を見るというプロセスも、特に立体図形ではうまくいかないことが多いようです。

たとえば、次のような問題は、ある程度、立体図形に対する感性を持っていないと、言葉で説明しても分かるものではありません。逆に、幼い頃からレゴブロックなどで遊んで、立体的な感性を磨いてきた子どもたちは簡単に理解します。

【問  題】

1辺の長さが6cmの立方体3個を下図のようにつないだ立体を、
3点 A、B、Cをとおる平面で切りました。切り口を書きなさい。

 

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私は、かつて、六年生の子どもたちに大根やケシゴムで作った立体を切って説明したことがありますが、その問題は分かっても、他の問題を解く力を十分に付けてあげることができなかったという苦い経験があります。しかし、さまざまな図形(立体図形を含む)を作って遊び、その中から、規則性を発見してきた子どもたちは、いとも簡単に理解します。

こういう授業をさらに徹底して行って生きたいと考えています。また、灘高校から東大の理科一類に進学し、修士一年のときレゴで東大総長賞を受賞し、日本人初のレゴ認定プロビルダーとなり、三井ブリックスタジオを主催している三井淳平氏の講演なんて、面白いんじゃないかなと考えています。彼は、倉石教授の教え子ですので、ひょっとすると何とかなるかもしれません。

 

「実験的な要素」を取り入れた「教科の授業」

 

また、「難関高校入試突破アプト化学」の著者の谷川芳雄先生は、低学年からの実験の必要性を主張しています。そして、子どもたち自身が、その結果をデータ化して分析する習慣と思考を低学年のうちから身につけていくことが、高いレベルでの科学的思考力を培うのに必要だと主張しているということです。

三人でこの話をしているとき、私は、夏休みの探究の発表会のことを思い出しました。いろんなクラスで、仮説に基づき「猫」や「植物」を使って実験や観察を行い、それを表にしてデータ整理し、分析を行っていた子どもたちが一年生にも二年生にも見られたことです。こういう力こそ、探究の授業や算数をはじめとする教科の授業で伸ばして生きたいと考えています。

すべての教科と探究の授業の中で、そして、学校生活全般の中で伸ばしていくということが、二学期の課題です。

ところで、谷川先生が立命館小学校で行った授業がDVD化されているようです。入手して、みんなで研究しようかなと考えています。

そして、小田先生も谷川先生も、構成主義的な学びをベースにしていますが、他方で、知識の体系的な学習もたいへん重要視していらっしゃる。

私たちの学校は、国際バカロレア初等教育プログラム(PYP)を導入した学びを行わんとしていますが(実際はやっているのですが)、併せて、「学習指導要領」の内容も徹底的に学んでいます。もちろんその方法はPYPの概念的思考とスキルズを用いたものです。そして、反復型の学習でこれらを確実に習得するように「昼学」の教材を準備しています。

おそらくこれは、PYPの新しい形になるだろうと考えています。以前、IBのアジア太平洋機構の坪谷理事と食事をしたとき、坪谷理事が、「オランダでは日本の学びに対してたいへん注目が集まっている。これを活用しない手はない。」とおっしゃっていたことを思い出します。

 

今、構成主義は・・・

 

今の話とは逆に、最近、構成主義の学びについての論文を読むと、知識の習得を軽視しているような傾向が見受けられます。たとえば、構成主義では、「学習」を次のように規定しています。

「学習とは『意味を作り出していくプロセス』であり、単なる『知識』の習得ではない。」

この一言は、私たちも賛同するところではあります。

ところが、構成主義の教育の研究と普及に力を注いでいる、関西大学の久保田賢一教授は「知るということ」は、「人が心の中で世界を作り出すことである」と述べているんです。すなわち、「構成主義では、〈現実〉は人が交わることで構成されると考える。つまり人と独立した〈現実〉は存在しない。グッドマン(ネルソン=グッドマン 哲学者)は構成主義を『理解の哲学』と呼び、世界を理解することは、人間の認知的活動が起こる以前にはありえないと主張している。つまり、『知る』とは、人がその〈こころ〉のなかで世界を作り出す過程に他ならず、その意味でも、私たちの住んでいる世界は自分自身により作り出されたものである。」(「構成主義が投げかける新しい教育」久保田賢一 関西大学教授)

さて、ここに大変な問題が潜んでいます。第一に、構成主義は、意識の外の世界があるということを認めていません。たとえば、構成主義の哲学者のイアン・ハッキングは、科学的知識を、客観的なものとは考えず、きわめて流動的(「相対的」といったほうがいいかもしれません)なものと考えています。それはそうでしょう。科学の対象となる世界が、客観的に実在するとは考えていないわけですから。

もう一つの問題は、人類が営々と積み上げてきた科学的知識の学習を軽んじているという問題です。

イアン・ハッキングは次のように述べています。

「科学的知識が現在のような形であるのは、決して不可避なものではなく、別の形でもありえた。科学的知識が現在のような形であるのは、社会的な出来事や力によるものである。」(イアン・ハッキング「何が社会的に構成されるのか」岩波書店

こうした構成主義の科学観によると、科学的真理は絶対的なものではなく、人類が築き上げてきた科学的真理も、個々人による意味付けが必要だということになります。

おそらくこの考え方が原因になっているのでしょうが、構成主義は理系に弱いという指摘があります。実際、1990年代にアメリカのカリフォルニア州構成主義に基づく科学教育が行われました。結果はどうだったかというと、子どもたちの学力が著しく低下しました。大問題になり、新たな科学教育を行うと、学力が元に戻りました。

 

知識の獲得と思考との関係とは深く関係している

 

PYPの理論的源泉の一つであるヴィゴツキーの理論を引き継ぎ発展させた(と私が勝手に思っている)心理学者のセルゲイ・ルビンシュテインは、知識の習得と思考の発達との関係について次のように考えています。本文(「心理学」上 青木書店 セルゲイ・ルビンシュテイン 1959年)がたいへん分かりづらいので、私なりに解読すると次のようになります。

 

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「天秤の支点から力点までの長さの非は、支点にかかる重さの比と逆比になる。」これは、少し大げさな言い方をすると「人類によって社会的・歴史発展の過程中に作成された知識」です。これを習得するには、掛け算・割り算や比の知識(これも、大げさに言うと「人類によって社会的・歴史発展の過程中に作成された知識」)がすでに学習者の知識の体系の中に組み込まれ、学習者の内部条件になっている必要があります。

そのうえで、天秤の力点を移動させたり、重さを変えたりして、その結果を表にして整理します。たとえば、次のようになります。本来ならば、あえて、未整理の混乱した状態のデータを示して、どうやってデータを整理するかも子どもたち自身に考えさせたほうがいいのですが。これは「分析」です。なぜなら、これは、天秤の支点から右と左に分け、それぞれの支点から力点までの距離、支点にかかる重さ、というように、一つ一つの要素に分解しているわけですから。

 

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このデータから、「天秤の支点から力点までの長さの比は、支点にかかる重さの比と逆比になる。」という認識に深まり、それが新しい知識となって、比・逆比、掛け算・割り算などと結びついて構造化し、内部条件が発達するためには、当然ながら、その子の中にすでに比・逆比、掛け算・割り算などが「先行知識」として構造化され、内部条件となっていなければなりません。

先行知識が構造化された内部条件があって初めて、それらの中から、このデータから本質を導き出す知識を選び出し、手繰り寄せてきて(これも「思考」です)、このデータの中に潜んでいる「規則性」を見つけ出します。これも「分析」です。しかし、単純に比に還元してそれで終わりではなく、「天秤の支点から力点までの長さの比は、支点にかかる重さの比と逆比になる」という認識に至り、ようやく、表に表された「現象」が理解されます。この過程は「総合」です。と同時に、「天秤と重さ」についての本質の理解(「一般化」)であり、同時にそれは、新しい知識の獲得でもあります。こういうふうに「思考」の発達と「知識の習得」とは相互作用しあっているんですな。すなわち、ルビンシュテインは、知識の習得と思考(分析・総合・一般化・選択等)には、人類が営々と積み上げてきた諸知識とその習得が前提されていることをたいへん鋭くも捉えているんです。

というわけで、私たちは、「学習指導要領」に定められている知識の習得を、探究的な方法を用いて、より効果的にやっていますし、今後は、さらに力を入れて生きたいと考えているんです。ここが、他の学校やインターナショナルスクールと開智望小学校との大きな違いですぞ。とはいっても、まだまだ十分ではありませんので、子どもたちと一緒に私たちも成長しようと思っています。口の悪い誰かは、私に対し「その年で、まだ成長するなんてこと、できるんですか」と言いますが、私ではなく、教師一同が成長していくんですぞ。