【コーディネーター便り】宇宙の探究

宇宙の探究

大それたテーマの探究の単元を今月から一年生で行うということで、私自身がびっくりしています。しかし、児童たちは、今まで(といっても、たった七ヶ月ですが)、一年生としては相当難しい探究に取り組み、驚くほど深い認識に到達してきましたし、その過程でさまざまな見方や考え方(Concepts-based-thinking)や、リサーチ・スキル、シンキング・スキル、コミュニケーン・スキルを獲得してきました。ですから、それらをフルに活用すれば、「宇宙」というトピックに挑み、さらに深い知識を獲得することも出来そうです。

 

野口君や五木田君の探究の授業を見ていて、面白いことに気づきました。さすが開智望小の児童たちです。次のようなことを得意そうに言っていました。

「太陽が地球の周りを周っているんじゃないんだよ。地球が太陽の周りを周っているんだよ。」

 

私は、「ほう、よく知っているな」と思いながら見ていると、野口君が「なんでそうだと分かったの?」と質問しました。子どもたちは「本にそう書いてあったから」「テレビでそういうふうに言っていたよ」「JAXAに行ったら、そう説明してくれた」「コペルニクスという人やガリレオという人がそう考えたんだよ」と説明してくれました。

私は聞いていて、「ふーん、よく知っているね。すごいな。なんでそうなるのか、君がワシに説明できるともっといいんだけどね」と評価しました。お母さん方の中には、「ずいぶん難しいことを子どもたちに聞くのね」と、お思いになる方もいらっしゃるでしょうね。

 

これでいいのでしょうか?

しかし、しかしですぞ。根拠も分からず、「地球が太陽の周りを周っているんだよ」と確信しているとしたら、それは大変恐ろしいことではないでしょうか。「あること」の正しいことを証明する根拠が、権威のある人の発言だとか、みんながそう思っているということにあるとしたら、こりゃえらいことになります。「太陽が地球の周りを回っているんだよ。だって、そう見えるんだもの」と言っている子どものほうがはるかに科学的です。なぜなら、現象の中にその根拠を見出しているんですから。その分、こう考えた子どもは必死で考えたのでしょう。カール・ポパーのような哲学者ならば、「考えた分だけ『真理値』は高い」と言うかもしれません。「明日は晴れか雨である」という予報は、「明日は雨である」という予報に比べて「真理値」は低くなります。なぜなら、根拠となるデータが、「明日は雨である」という予報に比べて少ないし、その分だけ蓋然性が高くなりますよね。それと同じなんです。開智望の児童は、こういう推論には強いんですよ。そういう能力をさらに発展させてあげたいですよね、

 

アリストテレスの「天動説」には意義がある?

ところで、「天動説」というとアリストテレス(前384~322)を思い出します。「万学の父」たるアリストテレスが学問的な活動を行った時代よりも遡ること約100年すでに、ピュタゴラス教団のピロラオスが地動説を唱えていますし、アリストテレスの師匠のプラトンも、地動説を唱えています。さらに、アリストテレスの時代より半世紀ほど下ると、イオニアのアリスタルコスが地動説を唱えました。太陽を中心にして五つの惑星がその周りを回るという説です。この説は、五つの惑星の配置ばかりか、天動説と矛盾する「惑星の逆行」も説明できる、きわめて科学的な考えでした。さらに、半世紀ほど下ると、アレクサンドリアのエラトステネスは、平行線と角度、および、掛け算と割り算という、現在の小3でも十分理解している知識と方法とを用い、なんと地球の外周の長さを、当時の尺度で252000 スタディア(現在の尺度では 46250 キロメートル)となることを明らかにしました。実際は40075キロメートルですから、天体望遠鏡や測量器具がそろっていなかった当時の状況を考えると、大変な正確さですよね。

 

こうした状況の中にありながらも、アリストテレスは敢えて師匠に逆らい、天動説を主張したわけです。なぜでしょう。もしそれがわかるならば、何事にも切実な「問題」と真剣な思考が必要だということがわかってきます。さらに、人間を知ることと自然を知ることとは不可分なのであるということもはっきりしてくるでしょう。

 

アリストテレスは自分の師匠であるプラトンの影響を強く受け、一切の存在者のなぜそのようなものであるのかの原理を明らかにしようとします。その際、プラトンは、世界の根本原理は、ものの完全な原型のような「イデア」を捉えるにあたって、「感覚」というものを、人間をして真理から遠ざけ惑わすものであるからという理由で、退けました。弟子のアリストテレスも、「学問とは、ただ事実を知るだけではなく、事実の根拠や原因を探求することである」と考えた点では師匠のプラトンと同じです。しかし、ここからが違います。アリストテレスは、師匠よりももっと先に進み、実在するものは「個物」であるのだから、それらを離れて超越してあるようなイデアを探究しようとするのは正しくない。あくまでも認識は「知覚」や「経験」に与えられた「個物」からスタートしなければならないという立場をとるようになります。人間の「知覚」や「経験」に矛盾するような知識は誤った知識であるということになるんです。

 

アリストテレスはなぜ天動説に?

近代科学は、人間の「知覚」や「経験」に立脚していますので、アリストテレスの考えはその先駆ともいえるわけですね。神々から世界を説明するのではなく、自然自体から自然を説明しようという強い欲求と、人間すらも自然の一部であるとするならば、人間とはいったいどのようなもので、どう生きるのがよりよいことなのかという、のっぴきならない衝動に突き動かされてギリシアの哲学は発展してきましたが、それがアリストテレスに結実したわけです。ですから、アリストテレスの哲学には、人間の認識能力や論理から、存在としての存在、自然、社会、芸術、倫理、政治、経済のすべての領域を網羅しており、しかも、一貫した思想と論理に貫かれています。しかし、これが、アリストテレスをして「天動説」に赴かしめた一因かもしれません。

 

体系的な哲学者であるということは、ある原理によって全ての事象を説明することを求めます。したがって、アリストテレスは、彼の原理の一つである「認識は知覚や経験に与えられた個物からスタートしなければならない」という原理と、「人間の知覚や経験に矛盾するような知識は誤った知識である」という原理とをどんな場合でも貫かなければならなかったんですな。しかも、彼はアテネにリュケイオンという学校を作り、その主催者でもあったわけですから、なおさら自説撤回はできなかったんでしょうな。そう考えると、あれほどの探究心を持った御仁ですから、少々気の毒にも思えてきます。

 

アリスタルコスは「勇気の人」というより「好奇心の人」・・・見方を変える

 そこへいくと、アリスタルコスはたいしたもんですな・・・・・・。

 

と、ここまで書きましたが、続きは乞うご期待。