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●探究学習のデメリットをどう補うのか?~<深さ:「ほんとに?」>と<広がり:「他の可能性は?」>から考える

こんにちは、開智望小学校広報担当の野口です。
いつも開智望ブログをご覧いただきありがとうございます。
このブログでは、毎回開智望小学校の教育について紹介しております。

 

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彼女は探究ユニット6の中で一生懸命考えていますが、

子どもたちに負けないように私も日々色々と考えています!

 

 

 

kaichinozomi.hatenablog.com

 

この記事は、過去1番の反響をいただきまして、すごく嬉しく思っています。

探究学習の危険性をどうやって補っていくのか」という残テーマがありましたので、今回考えてみたいと思います。

 

 

 

この本のはじめにこんな箇所があります。

 

 

 

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「正しいこと」が高校までは教えられるが、

「正しいこと」を大学からは見つけていかなくてはならない。

 

そして仕事をするとは自分で「正しいこと」を作っていく作業ですよね。

 

 

不格好経営―チームDeNAの挑戦
 

 この本の中で南場さんは、「選択肢を正しくするのが経営者」とおっしゃっていたことを思い出しました。

 

自分では正しいと思っていたことが後から実は違っていた、ということがあなたにもありますよね。

 

自分が信じていたこと、教わったことがどれくらい正しいのか、それを常に振り返ることが大切ではないでしょうか。

 

・得た知識の正しさを支えるもの

 

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冒頭の女の子のユニット4でのワークシートです。

 

【1.の疑問】から【2.のわかったこと】へ

そして【3.得た知識がなぜ正しいといえるのか】を検討しています。

こうして理屈として理解していったり、根拠を求めていくわけですね。

 

ユニット4では宇宙の探究をしたので、正しさを自分で検証するのが難しいですね。

そこで、子どもたちは、本に書いてあるからという理由でわかったことが正しいと結論づけていました。

 

もちろん、子どもなので、サンタクロースがいる、こうのとりさんの話、トイレの花子さんなど、現時点で正しいと思っていることが実は正しくない方がよいケースもあると思います。

 

しかし、調べ学習や体験学習を中心とした総合型の学習の危うさがここにありますね。

インターネットで出てきた1ページ目の情報は果たして本当に正しいのでしょうか。

偉い先生が言っていることを鵜呑みにしてよいのでしょうか。

 

・正しさの深さと広がりを意識する

子どもたちは主体的な探究学習を進める中で、どんどんと知識を得ていきます。

宇宙の探究では、小学校1年生がニュートリノ素粒子という言葉を使っていました。

 

ユニット6のゴミや資源の探究では小学校1年生がレアメタルという言葉を使っています。

 

<この子は本当に分かって言っているのかな>と私はいつも不思議に思っていますが、

少し突っ込むと危うくなるケースが多いですね。

 

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まずは、「深さ・縦」の議論です。

 

前述したように、統計学や医学、疫学などでエビデンスの信頼度については多数論じられています。開智望小学校でも医療関係や研究職の保護者が多いので、このあたりは釈迦に説法ですね。

 

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ご興味がある方は、Googleで「エビデンス レベル」と検索してみてください。

色々なエビデンス、すなわち根拠のレベル感がわかると思います。

 

大切なことは、私がコンサルタントの時、毎日何十回も上司から言われていた次の言葉です。

 

「ほんとに?」

 

「納豆を食べると痩せるらしいよ」→「ほんとに?」

「朝食を食べると学力が高くなるらしいよ」→「ほんとに?」

「○○くんは、なんにもしてないのに□□くんに叩かれたらしいよ」→「ほんとに?」

 

「ほんとに?」ばかりを親密な相手に連発すると絶対に嫌われると思いますが、

知的な営みである授業や探究学習では「ほんとに?」がとっても大切ですね。

 

実際に、ユニット6の探究では入学341日目の白熱教室として、答えのない議論を1年生で展開しました。

 

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地球にやさしい「おさがりのランドセル」とピカピカの「新品のランドセル」どっちがいいの?

 

子どもたちは「地球にやさしいからおさがりでいい!」と言います。

(泣けてくるほど素直でイイコたちですね。大人としていつも反省します。)

 

しかし挑発が仕事の私はすかさず「ほんとに?」と言って、揺さぶるわけです。

 

 

続いて「広さ・横」の議論です。

 

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http://www.ibo.org/contentassets/93f68f8b322141c9b113fb3e3fe11659/tok-guide-jp.pdf

 

国際バカロレアのDP(ディプロマ)では知の理論という学習があります。

最近ではこんな書籍も出たので、私も読みたいと思っています。

 

 

TOK(知の理論)を解読する ~教科を超えた知識の探究~

TOK(知の理論)を解読する ~教科を超えた知識の探究~

 

 

 

TOKには「個人的な知識」と「共有化された知識」という考え方があります。

 

共有された知識

「共有された知識」は、高度に構造化された体系的な性質をもつ、複数の個人による成果 物です。その多くは、ある程度明確に区別された「知識の領域」、例えばDPで学習する科 目のような形にまとめられています。「共有された知識」は、個々人の貢献によるものであ る一方で、特定の個人のみが貢献しているわけではありません。個人による貢献を他者が 確認して修正したり、既存の知識につけ加えたりする余地があります。

その例は枚挙に暇がありません。

• 物理学は、知識が共有された学問領域で、多くの人がその知識を利用でき、また知 識に貢献することもできる。取り組みの多くは、既存の知識を拡大しようとする 人々がチームになって進められている。個人がこの知識に貢献することは可能で、 実際に行われているが、個人の成果物が全体の一部になるためには、査読や実験の 結果を繰り返し出すことといった集団が関与するプロセスが必要とされる。

•コンピューターの構築に必要な知識も、やはり共有されている。このような装置を ゼロから構築するための知識をもっている個人というのは、そう簡単に見つかる ものではない。あらかじめ部分的に構築された部品を単純に組み立てるのではない からだ。にもかかわらず、私たちはコンピューターのつくり方を知っている。コン ピューターは、世界的規模での複雑な協力の成果物である。

 

(中略)

例えば、以下のような問いを取り上げることができます。

• 自分が育ったのではない文化の知識を有することは本当に可能なのか。

• 個別の宗教的伝統の外側にある人は、その主要な考えを本当に理解することができ るのか。

• 異なる伝統や関心をもった異なるグループが対立する主張を訴える時、判断を下す 中立の立場というのは存在するのか。

•一般によく知られた「知識の領域」は、どの程度まである特定の伝統に根ざしてい るのか。また、どの程度まで特定の文化に縛られているのか。

 

(中略)

個人的な知識

一方、「個人的な知識」は、特定の個人の経験に大きく依存します。経験、実践、個人的 活動を通じて得られるものであり、その人の生い立ち、興味、価値観など、限られた特別 な環境に密接に結びついています。

「個人的な知識」は、個人のものの見方に影響し、また 逆に個人のものの見方から影響も受けています。 「個人的な知識」は、以下のもので構成されます。

• 「私」が実践や熟練を通じて習得したスキルおよび「手続き的知識」(procedural knowledge)

• 「私」が学業を超える人生経験を通じて知ったこと

• 「私」が学校教育(さまざまな「知識の領域」の検証方法を通じてすでに確立した 「共有された知識」が中心)を通じて学んだこと

• 「私」の個人的な学術研究の結果(出版や他の方法で他者に開示することにより「共 有された知識」になっている可能性がある)

 

自分が得た知識は、どこまでも個人的な知識です。今後テクノロジーの変化とグローバル化が進む世界で生きていく今の子どもたちは、ますます個人的な知識と共有化された知識の境界を意識することが必要ではないでしょうか。

 

この広がりで大切な問いかけは「他の可能性は?」というものです。

 

自分の意見に固執していては、他の見方(Perspective)から物事を見るのが難しくなります。

 

ランドセルの議論に戻ると

「おさがりのランドセルを使うと、いじめられてしまうかもしれない」

 

「でもね、先生」

「みんながおさがりが当たり前になれば、いじめられないんじゃない?」

 

子どもたちはこうして、「他の可能性を」探っているわけです。

 

 

・まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

色々な話に飛びまして、伝わりづらい点もあったかと思います。

 

しかし、今回伝えたかったことは次の通りです。

 

子どもたちが膨大な情報の洪水の中で生きるのが現代社会。

 

自分たちが得た知識、やっとの思いで掴みとった<自分たちだけの真実>がどれくらい正しいのかを考える必要があるということです。

 

探究を行う教師が、このことを分かっていないと、総合型の学習が新たな学力低下を引き起こすことは目に見えています。

 

Googleで検索したこと、本に書いてあったこと、大人や専門家に聞いたことに対して、「ほんとに?」「他の可能性は?」と問える子になってほしいと願っています。

 

もちろん親密な関係では、「さすが」「そうだね」「うんうん」の方が大切だということもここではあえて書いておこうと思います。

 

それでは次回は1年間、開智望小学校で探究を行ってきて、実際どうだったのか。

 

「十分な知識はついたのか?」

「概念的思考で未知の事柄を考えられるようになったのか?」

「一生使えるスキルは身についたのか?」

「行動の表出として態度・学習者像は身についたのか?」

という点について振り返ってみたいと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。