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豊かな自然、人間の幸せと結びつく算数・数学

低学年の算数について書きます。

 

今朝、守谷駅向かって走るつくばエキスプレスの窓から、外の風景を見ていました。美しい緑の森が続いています。ゴールデンウィークのころの新緑の多様さとはまた違ったみずみずしい緑です。見とれていました。

 

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今まで一年生は、「長さ」を学んできました。

 

私は「つくばエキスプレスの窓の外の豊かな自然と、算数で学ぶ『長さ』とは、どう関係があるんだろうか」と考えていました。こういうと、「それは、自然の中の樹木の高さを測ったり、森の広さを測ったりするためには、『長さ』はどうしても必要でしょう。先生、朝早いので、寝ぼけたんじゃないですか」なんて言われそうですが。

 

たしかにそうかもしれませんが、算数や数学って、いずれは「有力な探求の道具」になるべき知識と技術ですよね。こういうと、「いや、数学はそれ自体が、探究の対象となりうるものだ」という意見も出てくるでしょうが、されはひとまず置いておいてください。

 

私は、ギリシア時代に、数を万物の原理であると考えたピュタゴラスのようには考えません。むしろ、数に関する智慧は、豊かで美しい自然、あるいは、どうやったら豊かになれるか、どうやったらみんなが平和で幸せに暮らせるかという人間の努力の中から生まれてきたと考えています。

 

たとえば、「長さ」というものは、・・・・次のようなことを人類の長い歴史の中でやってきて、得られた「概念」でしょうね。

 

まず、豊かで美しく多産的な「もの」の諸性質である色・重さ・大きさ・硬さ・感触、におい、味、等から、人によって、変わりやすく、一定ではない硬さ・感触、におい、味、等を取り去り、次に、物質そのものから分離しがたく、人間の知覚によって左右されない(と思われる)性質を分離し、それらの性質の中から「大きさ」を取り出す。

そして、「大きさ」(かさ・広さ・はば・高さ・深さ・奥行き)の中から「長さ」を取り出す。

誰にでも納得できる、「長さ」の合理的で共通の表現の仕を創造する。

 

これは、下向の道、「分析」こういうプロセスを経て、「長さ」の概念と測定の方法とがほぼ同時に作られてきたんでしょうね。私たちの「学び」の中でも、子どもたちとともにこういうプロセスを辿って「長さ」の概念と測定の技術や計算の仕方を獲得したいと考えています。そうすることが、算数・数学を「有力な探求の道具」になるべき知識と技術や道具にしていく道だろうと考えます。

 

ところで、出発点は、あくまで「現実」ですから、いずれは「現実」に戻らなければなりません。ですから、「分析」の時に取り去った要素を、今度は加えていかなければなりません。つまり、「長さ」から、「高さ」「深さ」「奥行き」に。さらには、「広さ」(縦と横で表現)、おおきさ(縦・横・高さ)で表現。長さで認識できるものとできないものの認識等にすすみ、具体的な量から、割合や比の関数などの相関関係に上向し、さらには、微分積分に、というように総合していくことにより「豊かな現実」に近づいていきます。対立や闘争を解決し、争いがなく幸せな世界を作る方法の一つになっていきます。

 

一番抽象的で、一番基礎的で、最も普遍的な数の探究からスタートした算数は、現実から分析に次ぐ分析を介して新しい知識(概念)や方法を獲得するとともに、少しずつ現実に近づいていくんですぞ。ですから、一つのことを学習したら、それを、現実の問題の理解や解決に「活用する」という姿勢が必要ですな。開智望小学校では、その機会が「探究の授業」です。

 

無駄な努力と思われるものが「本当の力」を育むのですぞ!

 

それはさておき、算数・数学の発達は、ひょっとすると、とんでもない「寄り道」、「道草」、「袋小路」の数学の歴史だったのかもしれません。

 

ギリシア時代、エウクレイデス(ユークリッド)らが幾何学の体系を「原論」という形で表しましたが、いくつかの難問を残しましたが、その一つに次のように「問題」があます。みなさん、考えてみてください。

 

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この問題を、ギリシア時代からローマ時代を経て600年間、西欧の数学者は考えていたんです。そして、600年後、この問題には解答がない(正解を出せない)ことが証明されます。では、その間に、この問題に挑戦し続け、解けないままにこの世を去っていった数学者たちの努力、その人生は無駄だったのでしょうか。

 

そうではないでしょうね。私は数学に詳しくありませんが、この努力の中からさまざまな数学上の発見や新しい公理などが発見されていったそうです。「寄り道」、「道草」、「袋小路」の数学の歴史も実は大変多産的だったということですぞ。

 

こんな話をしたのは、今日、小3の算数の授業を見てきたからです。小3では、次のような問題をやっていました。

 

0、1、2、3、4、5の中の数字を並べて3桁の数を二つ作ります。作った数の大きいほうから小さいほうを引いたとき、一番小さい答えはいくつですか。

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 二つの事に気づけば、あっさり解けます。

解けていた児童もたくさんいました。苦労した生徒もいました。しかし、何より大切なことは、この問題を面白いと感じ、あきらめずに取り組んだことです。計算力よりも、平易な同じパターンの問題をたくさん解くことよりも、はるかに大切なことは、こういう問題に、どれだけ時間がかかっても、たとえ解けなくても、面白いと感じ、取っ組み合う姿勢です。

 こういう姿勢の確立してきた子どもたちは、なまじ計算が早い子や、問題をたくさん解いてきた子よりも、ずっと、はるかに「考える力」「問題を解決する力」「一つの観点からではなく様々な観点から考える力」「先行知識を整理して活用する力」「分析・総合する力」「言語能力」が高くなります。

 このことは、同時に、家庭学習の在り方を考えさせるものでもありますなぁ。「宿題」というと「同種の問題を難題も繰り返す」「計算練習」等々と考えられていますがね。3年生の諸君は、こういう問題に取り組んでいたんですなぁ。たいしたもんです。

 ところで、7月9日(土)の「公開学習会」では、灘中学高校の前教頭の倉石教授やハード大学の学生の高島君が、こんな話をしてくれそうですよ。

 

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