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「信念を持つ人」PrincipledとConcept

 

 

国際バカロレアの10の学習者像(The IB Learner Profile)は、「IBの使命」を具体化したものでして、「国際的な視野をもつということ」という問いに対するIBの考えを具体化したものです。

 

Inquirers. Knowledgeable. Thinkers. Communicators. Principled.

Open-minded. Caring. Risk-takers. Balanced. Reflective.

 

この10の学習者像の中で、ちょっと考えると難しそうなのか「Principled」です。

IBは、「Principled」を次のように定義しています。

 

They act with integrity and honesty, with a strong sense of fairness, justice and respect for the dignity of the individual, groups and communities. They take responsibility for their own actions and the consequences that accompany them.

誠実かつ正直に、公正な考えと強い正義感を持ち、あらゆる人々がもつ尊厳と権利を尊重して行動します。私たちは、自分自身の行動とそれに伴う結果に 責任をもちます。

 

これは、むずかしいなと思ったのは、ほかでもありません。「公正な考えと強い正義感を持ち、あらゆる人々がもつ尊厳と権利を尊重して行動します」ということほど難しいことって、他にあるでしょうか。人間、この点で一番ぐらつきやすく、ぶれやすいのではないでしょうか。私など、しょっちゅうブレまくっています。

 

 ところで、この点でブレなかった人って、どんな人がいるかなぁと振り返ってみると、まず、ソクラテス。彼は、自分が正しいと認めたアテネの法律が、自分に死を与えるならば、それは正しい判断であると認め、死を受け入れました。逃げることができたにもかかわらず。

 16世紀の哲学者、ジョルダーノ・ブルーノ。彼は、コペルニクスから影響を受けた世界観を貫いてローマ・カトリック教会に反対し、宗教裁判によって1600年に死刑になりました。これはエライことですぞ。信念ある人は死んじゃうのか・・・・。

 

 現代となると、ガンジーや、マザー・テレサがそうでしょうね。

 

 「正義」や「公正」の概念は社会・文化によって多様ですし、時代によっても変容します21世紀の「現代」、これは、「正義」や「公正」の概念は19世紀の半ばあたりの「正義」や「公正」の概念ほどわかりやすくでありませんよね。これから大人になる子どもたちを待ちうけている「世界」はもっとわかりづらくなっているでしょうね。

 

 ところで、戸坂 潤という哲学者がいました。今、この人の名前を知っている人はかなりの「変人」かもしれません。

 久野収氏が、「三十年代の思想家たち」(岩波書店 1975年)の中で、彼について次のように言っています。

「・・・・戦争の嵐がわれわれの上に襲いかかり、哲学者が真にその名に値するか否かを試される機会が否応なしに訪れた時、殆どすべての哲学者は、哲学者らしさを失ってしまった。・・・・しかし、戸坂さんだけは、哲学者らしさをただの一度もくずすことなく、哲学者として語り、戦い、哲学のソクラテス的運命を立派に生ききった点で、殆ど他に例を見ることの出来ぬ存在であった。言葉の持つ重みを行為の中で耐えきるという哲学者の使命は、辛うじて戸坂さんによって支えられたのである。・・・・日本の哲学は、戸坂さんの存在によって辛うじてその名誉を傷つけないですますことが出来た。・・・・」(同書 157P)

 戦争に向かわんとしているあの時期、多くの哲学者たちがブレてしまいました。「正義」だの「道徳」だの「公正」だのの概念は、もうどうでもよいものになったり、あるいは、時宜に適した解釈がなされたりしました。

 ところが、戸坂 潤は最後までブレなかった。なぜでしょう。彼が、他の人々よりもはるかに強い「信念の人」だったからでしょうか。

 

 戸坂 潤は、「Concepts」を大変大切にした人でした。暗黒の時代に突入してからの日本思想を徹底的に批評する仕事をしますが、そして、それが彼の死の原因になるわけですが、その仕事を始める前に、彼は、自らの批評の道具立ての吟味を行います。それが「イデオロギーの論理学」(1930年)と「イデオロギー概論」(1932年)に結実します。

 

 彼は、まず「性格」概念の定義を行います。論理学等を用いた大変緻密な論理なので端折ってしまいますが、要するに「性格」とは、戸坂によると次のようなものです。

「事物の性格は常に事物の歴史的運動に寄与しなければならない。この寄与を成しえないものは、たとい初めに性格らしいものとして掲げられたにしても、結局は性格としての資格を欠いたものに外ならなかったことが証明されるであろう。・・・」(「戸坂潤全集」第二巻 13P)

 こういうふうに厳密に定義された「概念」から、彼は、ファシズムばかりでなく、その可能性を持ったものはなんでも、自分の師である西田幾多郎田辺元でさえ斬りまくったのです。

 さらに、「理論」について、次のように述べています。

「人々は往々にして理論の立場の整合のみに心を奪われて、それを動機づけた問題を理解することを怠る。・・・・理論の目的は問題の解決にある。問題を解決しえない理論は少なくとも理論ではない。それであるから理論の根本的な価値は、それがいかなる問題を有つかにある。立場や体系や又方法がそれを決定するのでは必ずしもない。問題の選択が理論の価値を根本的に決定する。・・・・(問題は、性格的である。)故に、問題の選択は(社会の)歴史的運動に寄与すべく行われなければならない。」(同書 34P)

 

 これだけではありませんが、戸坂はこのように、彼が、様々な思想を斬るために用いる「概念」をしっかりと、論理的に定義する仕事に長い時間を費やしました。それにより批評の原理の一貫性を持つことが出来たんです。そうでなかったとしたら、いかに戸坂であろうと時代の潮流に流されてしまう、そういう時代だったんです。

 

 今、子どもたちは、Conceptを用いて「探求」をやっています。「Change」を最初に用いるとき、それは、「変化」ということであって、ただそれだけの、中身の大変貧しいものにすぎません。しかし、探求の中で、子どもたちは様々な知識を獲得し、今は、「Change」について、つぎのように考えています。

 

「形が変わること」「数や大きさが変わること」「力が強くなること」「便利になること」「複雑になること」「ほかに影響を及ぼすようになること」・・・・

 

 「Change」の概念が探求で得た知識に支えられてたいへん豊かなものになってきています。こうして豊かになった概念が探求にとってのパワフルに道具に成長していきます。そうすると、次第に子どもたちの考えもブレなくなっていくんですね。

 

 と同時に、8つの概念が、豊かでパワフルなものに成長していくならば、一面的な見方に陥らず、多面的に見ながらも、これからの時代に、「正義」や「公正」の概念についても、豊かで、同時に、多面的で、そして、ブレない見方ができるようになっていくだろうと考えています。