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IBの使命

「IBの使命」を具体化したものである、国際バカロレアの10の学習者像(The IB Learner Profile)のうちの、「Principled」について、哲学者の戸坂 潤氏(松本 潤ではありません)を例に、「ブレない」ためには、Concept-basedの探究の中で、Conceptを用いて物事を探究するだけでなく、探究を通して獲得した様々な知識を基に、Concept自体を豊かでパワフルなものにしていくことの必要性を述べました。

 

 今回も、戸坂 潤の考え方を参考に、国際バカロレアの10の学習者像(The IB Learner Profile)を考えていこうかと思います。

 

 今回は、特に教師の側の考え方についても、反省を加えてみます。

 

皆さんは、どちらを選びますか?

 探究の単元(Unit of inquiry 以下「UOI」)の計画を立てるとき、担当する教師たちは「問題」(ProblemではなくQuestionです)を考えます。探究は、「教科の枠を超えた6つテーマ」を各学年の能力と選考知識を考慮して設定した「セントラル・アイデア」に向かって行われます。

 

 さて、その「セントラル・アイデア」ですが、2つ挙げてみます。

Transdisciplinary theme (教科融合テーマ)「How the world works」

セントラルアイディア:

A 小さな生き物の中に、大きな仕組みがある。

B 生きているものは、成長し変化する

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうでしょう。皆さんは、「どちらか一方を選択してください」と言われたら、どちらを選択しますかな。

 

 「基準がないと・・・」とおっしゃるかもしれません。

 

PYPの基準では・・・

 では基準を示します。IBのPYPのフレーム・ワークである「Making the PYP happen」には、次のように書かれています。

 

In developing an individual unit of inquiry, organized around a central idea, the following are proposed as useful criteria. Each unit should be:

個々の探究の単元―セントラルア・アイデア(教科の枠を超えたテーマが学年・学齢に合わせて具体化・特殊化されたもの)をめぐって組織された―を発展させる上で、次のものが使いやすい基準としてあげられる。すなわち、それぞれの単元は次のようなものであるべきである。

 

Engaging        Of interest to the students, and involving them actively in their own learning.

魅力       児童・生徒にとっての関心、児童・生徒を活動的に学びに熱中させること。

Relevant         Linked to the students’ prior knowledge and experience, and current circumstances, and therefore placing learning in a context connected to the lives of the students.

関連       児童・生徒の既得知識や経験とリンクしている、現在の状況、したがってまた、児童・生徒の生(生活・生き方・生きていることそれ自体)と関連する状況の中に学びを位置づけること。

Challenging      Extending the prior knowledge and experience of the students to increase their competencies and understanding.

挑戦       児童・生徒の既得知識と経験を広げ、彼らの能力と知性を増加させること。

Significant       Contributing to an understanding of the transdisciplinary nature of the theme, and therefore to an understanding of commonality of human experiences.

重要性     テーマの教科の枠を超えた本性の理解に寄与すること、したがってまた、人類の経験の普遍性の理解に寄与すること。

 

 さあ、皆さん、どれを選択なさったかな。「どちらも、条件に適っている。」なるほど、そうも言えるでしょうな。

なに、どっちもこれらの条件に適っていない。こりゃ困りましたぞ。

 

先哲の基準だと・・・・

 そこで、もう一つ条件を加えてみましょう。

 

「・・・問題の選択は少なくとも問題を選択することであって、問題を勝手に採用することではないであろう。それに、もしどのような問題でも勝手に採用されてよいならば、元来問題の問題がある筈はない。問題の選択が問題になる筈がないのである。問題の選択そのものが今は問題である。なんとなれば問題は一定の――但し或範囲に於て形式的な――客観的標準に従って、選択され又されねばならないのだから。何がその標準であるか。曰く、性格的なる問題が選ばれなければならず、又選らばれるのである。」(「イデオロギーの論理学」1930年 「戸坂潤全集 第二巻」勁草書房 35P)

 

 「性格的」というキーワードが出てきたので、この言葉を戸坂氏はどう説明しているかというと、・・・・。

「性格とは事物の支配的な性質であり優越な性質である。その事物の他の一切の性質は、性格という資格を持つ一つの性質によって支配され優越せられ、かくて事物の表面的な公的な交渉からは隠される。その代り事物の諸性質の集合意志は性格を代表者として議席に送る。」(「イデオロギーの論理学」1930年 「戸坂潤全集 第二巻」勁草書房 10P)つまり、「性格」とは、事物を代表し、他の諸性質をその事物の性質としてまとめ上げている、いわば「原理」のようなものなのでしょうな。

 ですから、「性格」は「人々が事物に達する通路であることをその特色とする」、あるいは、「事物を取り扱う具体的な方法を得ることが出来る」という点で「方法的」であり、また、「実践的」でもあるんです。

 さらに、戸坂氏は「性格的である」ということは、「常に事物の歴史的運動に寄与しなければならない」(「イデオロギーの論理学」1930年 「戸坂潤全集 第二巻」勁草書房 12P)

とも言っておりますが、こっちのほうは、いましばらく置くとして、これらの条件から考えると、どうでしょう。

 私は、Bのほうが「問題」としてはよりふさわしいものであると考えますが、皆さんはどうでしょうか。

 「いや、私は、~~~が『How the world works』のセントラル・アイデアとしての『問題』にふさわしいと思う」というものがあったら、ぜひメールで教えていただきたいと存じます。

 

Aのほうは、先に解答を知っている教師の立場から作られたものであり、セントラル・アイデアが「問題」になっておりません。ここでいう「問題」とは、もちろん「性格的」であって、「事物を代表し、他の諸性質をその事物の性質としてまとめ上げている『原理』のようなもの」であり、そして、「事物を取り扱う具体的な方法を得ることが出来る」という点で「方法的」であり、また、「実践的」でもあるものです。

Aのような「問題」でも、もちろん子どもたちは一生懸命探究します。しかし、教師は一緒に考えていくことが出来ない。

なぜかというと、教師は「正解」を知っています。そういう「立場」から、わざと「なぞっぽく」というか「深淵ぽく」作られた問題なので、多くの場合、「正解」への道筋が決まっています。こういう場合は「論理整合性」だけが、評価の対象になってしまいます。もちろん、教師自身は「生涯学習者」たりえません。

 

 戸坂氏は、こういう事態を皮肉を込めて次のように言っています。

「或る一つの理論を批判し得んがためには、徒に其れが基く立場の成立不成立を論ずることに人々は満足すべきではない。・・・・それであるから人々は、理論が何を問題にするかを第一に見極めることが最も必要なのである。理論の動機をなす処の問題を理解しない限り、その理論は理解されたのではない。さて第二にその理論が持っているこの問題が果たして性格的であるか否かを人々は決定し得なければならない。これを決定し得ず又決定することを知らないならば、この理論の歴史的(社会的)意味を理解することは原則的に不可能であるであろう。この二重の手続きを経て何等かの理論は初めて批判されたことになるのである。もしそうでなければ所謂批判とは単に論理の帳尻を合わせることか、それでなければ一つの科学的漫談でしかない。」(「イデオロギーの論理学」1930年 「戸坂潤全集 第二巻」勁草書房 39P)

 アンダーライン部のなかで、特に「単に論理の帳尻を合わせることか、それでなければ一つの科学的漫談でしかない」という言葉は、戸坂氏一流の軽妙洒脱な表現だという人がいますが、私はそうは思いません。この文章もある意味、命がけで書いたものですから、あの時代においても現代においても、深いところに向けて鳴らしている警鐘のように思えます。

 

10の学習者像の「知識のある人」と探究

 国際バカロレアは10の学習者像(The IB Learner Profile)を定めています。そのうちの「知識のある人」(Knowledgeable)は次のように規定されています。「We develop and use conceptual understanding, exploring knowledge across a range of disciplines. We engage with issues and ideas that have local and global signi­ficance. 私たちは、概念的な理解を深めて活用し、幅広い分野の知識を探究します。地域社会やグローバル社会における重要な課題や考えに取り組みます。」

 

学習者像は、「宙に浮いた目標」でも「単なる理想」でもありません。教育を通じて必ず形成されるべきものです。そのためには、「探究」のテーマ(セントラル・アイデア)もよく考え抜いたものでなければならないと考えます。

 

そういう観点から、様々な先哲の苦悶の成果を紐解くと大変示唆に富んだことを教えてもらえます。

 

・・・と思いながら、UOIの様子を見て回ってきました。「問題」にふさわしい「Question」に洗練させていくために、あるクラスでは、子どもたちと教師とで力を合わせて、ワークシートを完成させていました。また、あるクラスでは、「問題」を明確化したうえで、先行知識を整理し、「仮説」を立て始めていました。

 

こういう「UOI」の積み重ねが、近いうち、「数年」のうちに、子どもたちの心の中に「知識のある人」(Knowledgeable)としての能力と心性とを、そして、それにふさわしい「態度」とを形成してくるんだろうなぁと考えています。

 

「ワシも頑張らんとアカンナ」、自分に言い聞かせながら、部屋に戻ってきて、この文章を書いています。