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加藤周一と、六つの「教科の枠を超えたテーマ」と、社会の主体

公開学習会での驚き・・・

 

7月9日(土)に、灘高校前教頭で、立命館大学教授の倉石寛先生と、ハーバード大学一年生で、日本の高校生の留学支援・援助の活動をしている髙島崚輔くんを招き、「公開学習会」を行いました。たいへん面白く、さまざまな点で刺激的でした。とくに、お二人の自由な精神と行動力、そして、その根本の部分にある知的好奇心の質の高さには感服いたしました。

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お二人の「知的好奇心」が、彼らをして、あのようにならしめたということに、「それはあのお二人だからであって、私たちの子どもたちには関係がないことかもしれない」とお思いになった方々もいらっしゃったようです。そのことについて、多少とも答えになるかどうか。それは分かりませんが、次のようなことを考えています。

 

 「あすかアセットマネジメント」を率いる投資のプロとして名を馳せ、あのISAKの発起人代表として、軽井沢にアジアのそれほど豊かではない家庭の子どもたちために国際的な教育を行う「インターナショナルスクール・オブ・アジア軽井沢(ISAK)に尽力した谷家 衛氏の話が、倉石先生の話の中に登場しました。灘校で倉石先生の教え子ということです。

 

ISAKの河本あさ美さんのこと・・・

 

このISAKというと、私は数年前、倉石先生に誘われて、このISAKのサマースクールを見学したことがあります。見学といっても、三日間、参加者の学校関係者たちとワークショップをやりながら、アジア各地からやってきた生徒たちの様子を見るという、たいへん面白いものでした。このサマースクールに参加していた生徒たちが、翌年から開校したISAKの最初の学生になったわけです。

 

 そこで、マネージングをしていたのは、赤いTシャツにジーパン姿の若く美しい女性でした。プログラム・ディレクターの「A.Kさん」。この女性が裏方として、ISAKの設立のマネジメントをしていたんです。カリキュラムの作成に当たったのも彼女が中心になってということです。彼女が谷家氏らと「軽井沢にアジアの子どもたちための国際的な教育機関を作ろう」という目的を共有して活躍していたんです。すごい女性ですが、そのすごさを内に秘めて、ほとんど外に表さずに、私たちを迎えてくれました。

 

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彼女は、倉石先生や高島君、谷家氏のような「とんがった」人ではありませんし、彼らのような生い立ちをしたわれでもありません。しかし、たいへんでっかい志を持ちISAK設立のマネジメントの中心となり活躍しました。

  なぜ、この女性が、こんなでっかい志を持って活躍するようになったのか、当時たいへん強い関心を持ちましたが、肝心なISAKより、こっちのほうに関心を持っていたなどということを言うこともできぬまま、いつの間にか忘れてしまったのですが、7月9日の「公開学習」の倉石先生の話のを聞いているうちに思い出し、懐かしくなりました。そして、ついでに、評論家で医師の加藤周一氏の言葉に思い当たることがあり、もう一度読んでみました。

 

 

加藤周一氏の考え・・・主体の形成

 

 「時代とはわれわれ自身の決定を深く条件づける何ものかである。別の言葉でいえば、特定の状況に於けるわれわれの選択の範囲を限定するものが時代である。聖アウグスティヌスAugustinusの選択は、マニ教キリスト教であった。親鸞の選択は叡山か法然門かであった。聖アウグスティヌスキリスト教を択び、親鸞浄土真宗を択んだのは、それぞれの個人の問題である。聖アウグスティヌス浄土真宗を択ばず、親鸞キリスト教を択ばなかったのは、それぞれの時代の問題である。すなわち、聖アウグスティヌスも、親鸞も、みずからその道を択んだときに、――すなわち、彼らがもっとも深く決定的に彼ら自身であったときに、もっとも鋭く時代の文化の本質を代表していたのである。・・・・・・時代の文化は、一人の人間の運命を左右する必然の条件である。その人間の精神は、彼が彼自身の道をきめる自由の根拠である。この古い二律背反において、確実なことは、決断が自由であればあるほど、一人の人間の『決断』のなかにいよいよ鋭く『時代』の必然性があらわれるということだ。・・・」

加藤周一「物と人間と社会」初出1960・61 「加藤周一著作集」6 平凡社 223P~224P)

 

 

 つまり、社会の主体になるということは、一方で、その時代の特定の状況により、選択の範囲を制限されながら、他方で、自ら道を意識的に選ぶ。その時、あるいは、それにより、時代の本質はその人の中に現れるということです。

 

 そういう人として今あるのが、倉石先生や髙島君たちであり、あるいは、A.Kさんであり、その他さまざまな人々です。彼らはなにも特別な人ではないでしょうね。ただ、好奇心が強かった。そればかりか、時代を本質を捉える感性を持っていました。そして、強い好奇心は、その中から自分の道を選ぶことにつながっていったんでしょうね。

 

PYPの教科の枠を超えたテーマと主体形成・・・

 

そう考えながら、PYPの六つの「教科の枠を超えたテーマTransdisciplinary themes」(探究のテーマ)を振り返ってみますと、実によく考えられていますな。PYPの六つの「教科の枠を超えたテーマ」とは、次の六つです。現在進行中の探究の単元(UOI)は、これらのテーマを各学年の各時期に具体化した「セントラル・アイデア」をテーマにして行っています。

 

Who we are  Where we are in place and time  How we express ourselves

How the world works  How we organize ourselves  Sharing the planet

 

 「Where we are in place and time」というテーマの探究を通し、徐々に(いきなりではなく、初等教育プログラム全体を通して徐々に)、子どもたちが自分たちの時代を、歴史的に、そして、地理的に、認識を深めていくんです。

 「How we organize ourselves」という探究のテーマは、私たちの時代の本質についての認識を深めていくためのものです。

 さらに、「How the world works」という探究のテーマにより自然の仕組み、微小の世界から、宇宙、遺伝子から生物の進化、科学と技術の利用のあり方などについての認識を深め、「Sharing the planet」で、対立や紛争と共存について、「Who we are」で、この時代の中での自分のあり方、そして、「How we express ourselves」で、自分の時代へのかかわり方などについての認識を深めていくようになっています。この順番はもちろん年によって変わりますがね。

 

 こういう探究のプログラムにより、子どもたちは、自分たちの生きる、生きていく時代の本質を捉える力(概念的な思考力)を育み、ということは、鋭い感性と概念的な思考力を育み、そして、同時にたいへん強く、良質な知的好奇心とそれを支える知識やスキルを高めていくんです。高島君たちは特別な人だから・・・ということにはなりません。

 

 だから、小学校低学年の今は、探究活動に目を輝かしている必要があるんです。好奇心の芽、摘んじゃいけませんよ。

 

 子どもたちがそれぞれどんな先行知識や技能を、今、持っていて、どんなことに知的好奇心を抱き、探究しているか、これから各自、どんな知識や技能が必要か、教師たちはそれを理解し、夏休みの課題を子どもたちと一緒に考えています。面白く楽しい夏休みになると考えています。