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【コーディネーター通信】TOK(「知の理論」)を解読する

ラカンの灘高・日本史リベラルアーツ授業・・・・

 

問い①「江戸期、東北で飢饉が度重なり、多くの人が餓死したのはなぜか?」

これは、倉石 寛 灘高前教頭(現在立命館大学教育開発推進機構教授)が2015年2月に灘高2年生に実施した授業のテーマです。

 

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この問いに対し、私などは、「そりゃ、夏にヤマセが吹くからだろう。」とか、「夏に寒流の千島海流の勢いが強いと、その上を吹いてくる北東の風が冷やされて、東北地方の気温が上がらないのと、濃霧を発生させるのとで、稲作等に冷害をもたらすから。」などという解答を考えるでしょうな。

 

なんでこんなことを書き始めたかというと、最近、野口君と、国際バカロレアのディプロマプログラムのコアの「知の理論」(Theory of knowledge)について話をしていた時のことです。そのUnit1の「知識の読解」の「知識の種類と知識に関する問い」の「知識マトリックス」というところに、次のように書かれていたことが大変気にかかりました。

 

 

・・・重要な知識に関する主張で、単独に生じるものはほとんどありません。たいていは、世界についてのアイデアや主張に複雑に絡み合ったものの一部であり、テストやリソースを巧みに組み合わせて使用して、互いに矛盾していないかどうか常に相互参照させているものなのです。したがって知識は、「概念、事実、関連のマトリックス」で構成されており、私たちが遭遇する個人的主張を評価する際に概して頼りにするものです。知識に関する主張に直面しているかどうか、次のような質問をする必要があります。

「誰にとって、これは真実なのか。」

「どんな根拠があって、真実だと主張されているのか。」

「この知識に関する主張は、私が以前から真実だと信じている知識に関する主張と一致するのか、それとも矛盾するのか。」

「どの程度社会は、この主張が真実であることを信頼しているか。」

「どの程度私は、この主張が真実であることを信頼しているか。」

「この主張を真実だと認めると、どういう結果になるか。」

「私がこの主張を確かだとみなすかみなさないかで、どういう違いが生じるだろうか。」

「もし私がこの主張の真実性を認めないとしたら、どんな結果に直面するだろうか。」

(『TOK(知の理論)を解読する』 Wendey Heydorn   Susan Jesudason  Z会

さて、こう考えると、「夏にヤマセが吹くから、飢饉が起こり、たくさんの餓死者が出る。」という知識は、どう評価できるでしょうか。

 

「誰にとって、これは真実なのか。」という基準からすると・・・

 

「誰にとって、これは真実なのか。」という基準からすると、現在のところは、東北地方では餓死者が出ているわけではないので、この知識の主張は、事実の一部ではあっても、それほど意義のあるものではないということになりますね。

 

「どんな根拠があって、真実だと主張されているのか。」という基準からすると・・・

 

「どんな根拠があって、真実だと主張されているのか。」という基準からすると、この知識は、気象学上の事実に根拠を持っているでしょう。ということは、物理学的にも、地理学的にも根拠を持っていることになります。しかし、「夏にヤマセが吹く」という条件だけから、「飢饉が起こる」という結果が生まれるということはありません。確かに稲は熱帯性の植物ですから、高温多雨のほうがいいに決まっています。しかし、現在では品種改良がおこなわれて寒さに強いイネの栽培がおこなわれています。また、稲ではなく、寒さに強いソバやクリ、アワやヒエを作ればいいわけですから、「夏にヤマセが吹く」というのは、飢饉の必要条件の一つではあっても、十分条件にはなりません。

 なぜ東北地方では、江戸時代に、夏、寒冷で日照時間が少ないにもかかわらず、コメ作りを行ったのかということについての知識や、なぜ寒さに強いソバやクリ、アワやヒエを作らなかったのか、さらに、飢饉が起こったにしても、それがなぜ多くの人の餓死につながったのかということについての知識が必要になってきますよね。

 

ということは、「夏にヤマセが吹くから、飢饉が起こり、たくさんの餓死者が出る。」という知識は、十分な根拠をもった知識であるとは言えません。

 

「この主張を真実だと認めると、どういう結果になるか。」という基準から見ると・・・・

 

「この主張を真実だと認めると、どういう結果になるか。」という基準から見るとどういうことになるでしょうか。

 

「夏にヤマセが吹くから、飢饉が起こり、たくさんの餓死者が出る。」ということが真実であるとするならば、これはえらいことになりますよ。というのは、気象というものは、人間の思うようにはならないんです。ということは、東北地方の飢饉は、これはもう必然的であるから、東北の人々は甘んじてこれを受け入れるしかないということになってしまいます。こんなバカな話はありません。したがって、ですな。「夏にヤマセが吹くから、飢饉が起こり、たくさんの餓死者が出る。」という知識は、その結果生じることから考えても、「真実」とは言えませんな。

 

ということは、「夏にヤマセが吹くから、飢饉が起こり、たくさんの餓死者が出る。」という知識は、「概念、事実、関連のマトリックス」から見直すと、「知識」としての値打ちが高くないものだということになります。

 

皆さんは、どういう知識を組み立てますか? 先ほど挙げた基準を参考にして、一度考えてから、次をお読みください。

 

次のような、知識を組み立てた人がいます・・・

 

幕藩体制は、「米遣いの経済」である。だから、各藩は、流通力のあるコメを江戸・大阪で売却して参勤交代や江戸滞在の費用を賄った。したがって、農地の多くを水田にしてコメの取れ高を多くすることが、藩政の使命になっていた。だから、ヤマセによりひどい凶作が起きたとしても、東北の藩主は飢饉の中、班内のコメを強制的に集めて江戸・大坂で売らねばならなかった。そのため、たくさんの人々が餓死することになった。

 

この知識を、「どんな根拠があって、真実だと主張されているのか。」という基準から評価すると・・・

 

この知識を、「どんな根拠があって、真実だと主張されているのか。」という基準から評価すると、ここには紹介できませんが、この知識は、「東北地方の水稲作の作況指数」「天明の夏の天気」「各藩の人口・餓死・病死・逃亡・絶戸」「18世紀から19世紀にかけての飢饉による人口減少」等の資料の分析によって得られたものであり、根拠づけられている資料です。

 

「誰にとって、これは真実なのか。」という基準から考えると・・・

 

さらに、「誰にとって、これは真実なのか。」という基準から考えると、この知識は、江戸自体の東北諸藩の人々にとってだけ「真実」なのではありません。こういうと「えっ」と思われるむきもいらっしゃるでしょうが、本当なんです。では、どういう人々にとって「真実」なのかというと、実は、現代の私たちにとっても「真実」なんです。それについてちょっと考えてみましょう。

 

「この主張を真実だと認めると、どういう結果になるか。」という基準から・・・現代の日本や世界に

 

「この主張を真実だと認めると、どういう結果になるか。」という基準からこの知識考えますと、次のような結果が出てくるのではないでしょうか。

 

「ならば、多くの武士を帰農させて、養蚕等の新たな商品の作り方を教えて、藩経済に寄与させればいい。」「そうすれば、無理して、風土に適さないコメを作らずに、寒冷地でも育ち、江戸・大坂で高価で売れる商品作物を作ることが出来る。」「寒冷地に強いソバやクリ、アワやヒエなどを非常用の領民の食料として栽培しておくことが出来る。」「参勤交代や江戸藩邸でかかる費用を節約して、非常時には領民にコメを分配する。」等々。

 

ところが、よく考えると、江戸幕府がとった政策は、16世紀から始まった西欧諸国の植民地政策ともよく似ているんです。ゴムのプランテーション等々です。それが現代の世界をたいへん大きく規定しているわけですから、この知識は、「現代の世界の人々」にとっても大変意義のある知識だということになります。

 

最後に、「私がこの主張を確かだとみなすかみなさないかで、どういう違いが生じるだろうか。」という基準に基づくと、この知識は、どういうことになるのか、ぜひ皆さんも考えてみてください。